2021年10月20日水曜日

青ひげ

ジル・ド・レー
17世紀に出版されたシャルル・ペローの童話集は、世界初の児童文学と言われています。18世紀には、英国でマザー・グース童謡集が出版されますが、マザー・グースという名称はペローの本のタイトルから取られています。また、19世紀ドイツのグリム童話集には、ペロー童話集と重なるエピソードも収録されています。いずれも、民間伝承を収集した児童文学です。ペロー童話集といえば、赤ずきんちゃん、シンデレラ、眠れる森の美女、ロバの皮、長靴をはいた猫等が有名ですが、なかでも青ひげは、少し風変わりな話です。グリム童話集の初版にも収録されていたようですが、二版目以降は削除されています。陰惨な面が児童向けには相応しくないと考えられたのか、あるいは青ひげのモデルとされる人物が恐ろしすぎたからかも知れません。

昔、大金持ちながら、ひげが青いことから恐れられていた男がいました。青ひげは、貴婦人の娘たちの一人との結婚を申し込みます。青ひげは、何度も結婚していましたが、妻たちが行方不明になってたこともあり、姉妹は結婚を躊躇します。青ひげは、貴婦人の家族と友人たちを招き、贅沢の限りを尽くした接待を行います。結果、好意をもった妹が嫁ぎ、妻になりました。ある日、青ひげは、旅に出ます。妻は家中の鍵を渡されますが、ある小部屋だけは入らぬよう厳命されます。青ひげが出発すると、妻は、我慢できずに小部屋を開けます。そこは、血の海で、青ひげの妻たちの遺体がありました。妻は、思わず鍵を落とします。呪いのかかった鍵は、拭いても血が落ちません。予定が変わって早く帰宅した青ひげは、何があったかを察知して、妻を殺そうとします。妻は、最後の祈りを乞い、元々、その日来る予定だった兄たちを待ちます。すんでのところで間に合った兄たちが青ひげを殺します。

ペロー童話集は、ご丁寧に、各話の末尾に教訓が書かれています。例えば、赤ずきんちゃんの場合は、若い娘が知らない人と口をきくのは災いのもと、といった具合です。青ひげの場合には、女性の特有の好奇心を戒めています。青ひげのモデルとされるのが、15世紀のナントの領主にして、フランス軍の元帥だったジル・ド・レー男爵です。レー家は、悪辣な手法で、領地を拡大してきた歴史があり、また、母親の家系も悪党揃いでした。幼くして両親を亡くしたジル・ド・レーは、なかなかの悪人だった祖父のもと、放任されて育ちます。長じて軍人となったジル・ド・レーは、百年戦争真っ只中で、ジャンヌ・ダルクと行動を共にし、フランスの勝利に貢献した英雄と称えられます。パリ包囲戦を境に退役したジル・ド・レーは、居城にこもって、錬金術や黒魔術に没頭していきます。ジャンヌ・ダルクが火炙りの刑に処されたことにショックを受け、精神を病んだとも言われます。

奇行を続け、散財するジル・ド・レーは、一族から禁治産者の訴えを起こされ、その広い領地は、王族からも狙われます。政略的だったのでしょうが、ジル・ド・レーは、黒魔術を使った容疑で宗教裁判にかけられ、絞首刑のうえ火炙りという刑に処されます。その裁判の過程で恐ろしい事実が明らかになっていきます。ジル・ド・レーが居城にこもり始めた頃から、ナント周辺では、子供の行方不明が頻発していました。児童性愛者だったジル・ド・レーが、拉致して、性的に虐待したうえで、殺していたのでした。その数は、150人とも1,500人とも言われます。いずれにしても、城の地下室から大量の白骨が発見されています。黒魔術も、自らの性的指向を満足させるために行っていたのではないか、と言われます。通常、物語は、ネタになった話を誇張するものですが、青ひげの場合、ネタの方がより恐ろしいという世にも珍しいケースです。

ジル・ド・レーの尋常ならざる行動は、汚れた血筋がゆえ、あるいは異常な幼少期に原因があると言われます。そのとおりなのでしょうが、実は、ジャンヌ・ダルクとの、ある意味、尋常ならざる宗教体験にこそ原因があるのではないか、と思います。オルレアンの少女は、華奢な体に甲冑をまとい、戦場にあっては、常に先頭に立ち、連戦連勝を続けます。激しい戦闘のなかで、その神がかった姿は、宗教的興奮と性的興奮が入り交じった複雑な感情をジル・ド・レーの心に生じさせ、それがいつまでも残ったのではないでしょうか。かなり特殊ではありますが、PTSDの一種とも言えそうな気がします。(写真出典:ja.wikipedia.org)

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