2021年10月18日月曜日

規格化

アメリカのホーム・センターで、一番驚いたのは、既にガラスまで入った窓、あるいは仕上げまで終わった階段が、店頭で販売されていたことです。要するに、アメリカは、完璧に規格化された社会なので、サイズさえ合えば、窓や階段も、店で買って帰り、自分でパカッとはめることが出来るわけです。アメリカの大量消費社会は、ライン化された工場、よく整備されたハイウェイ網、そして徹底的な規格化によって成立したのだと思います。アメリカのハイウェイを走っていると、出来あがった家を運んでいるトレーラーをよく見かけます。実際には、工場で生産されたモジュール、つまり家の部品であり、現地で家として組み立てるわけです。規格化社会ならでは光景だと思います。

規格、あるいは標準には、計測単位、最低基準、互換性標準があると言われます。計測標準に関して言えば、その歴史は、農耕とともに始まったとも言えます。シュメールは、既に計測単位を持っていましたし、秦の始皇帝による天下統一は、度量衡の統一でもありました。産業革命後、欧州では、度量衡の国際標準化が一気に進んでいます。私が、ここで、言っているのは、度量衡ではなく、互換性標準のことです。アメリカにおける互換性標準の起源は、18世紀フランスの軍事産業にあるとされます。当時、フランスの軍需産業では、多様化する兵器の製造にあたり、互換性の高い部品を増やすことで、製造工程の効率化を進めていました。これを見たアメリカの国防関係者が、標準化という考え方を国に持ち帰ります。

新興国アメリカでは、産業革命が始まったばかりでした。欧州に遅れをとったものの、ひとたび工業化が進むと、欧州をはるかに上回るスピードで発展していきます。軍需産業を中心とした標準化の流れは、金属加工の進化と相まって、徐々に他の産業にも伝播して行きます。互換性標準がアメリカ産業界に一気に広がったのは、1904年に起きたボルティモアの大火がきっかけだったと言われます。火の勢いが強く、なかなか鎮火できないので、ワンシントンD.C.やニューヨークからも消防隊が応援に駆けつけます。ところが、それぞれのホースの規格が異なっており、消火栓とホースを接続することができませんでした。火は36時間燃え続けたと言います。この悲惨な経験が、ホースと消火栓の標準化を実現し、さらには工業全般へと広がって行きました。

アメリカで、互換性標準が発展した背景には、特許制度と独禁法があるのではないかと思います。近代的な特許は、15世紀のヴェネチアに始まり、欧州に広がります。なかなか難しい面も多い仕組みであり、各国で激論が続いた制度でもあります。欧州で特許制度の完成度が高まった頃、アメリカは建国され、その憲法にも特許の考え方が記載されています。建国時から特許制度が一般化されていたことは、アメリカの産業拡大にとって、大きなメリットだったと思います。また、アメリカは、独禁法を発明した国でもあります。大企業による独占を制して、健全な競争を確保することこそが、消費者の利益につながる、という考え方は、アメリカの産業を形作る基本的思想だと言えます。いずれも、技術が広く活用される下地になったと思われます。

ただ、アメリカには、政府による規格や標準の押しつけを嫌う精神風土があり、デジュリ・スタンダード(法などで定められた標準)よりもデファクト・スタンダード(事実上の標準)が多い傾向があります。かつて、日本企業によるビデオ規格を巡るVHSとベータの争いがありましたが、これもアメリカでのデファクト・スタンダード獲得を巡る競争でした。もちろん、それらも、後にはISO等国際標準化されていきます。東西冷戦が終わり、アメリカ一強が明確になると、アメリカの産業界は、地球規模でのデファクト・スタンダード化を進め、圧倒的優位を確保しようとします。いわゆるフラット化戦略です。しかし、それは物を作らない国アメリカを生み出し、結果、中間層が没落、トランプ政権を誕生させました。(写真:NZでの光景 出典:rnz.co.nz)

マクア渓谷