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Porta Porteseの蚤の市 |
19世紀、フランスの産業革命が高まりを見せると、パリへと流入する労働者が急増します。結果、パリの人口密度は異常なまでに高くなり、昔ながらの狭い街路が、不衛生極まりないゲットーを形成していきます。この問題を解決するために、1853年から、10年以上をかけて、パリ改造が行われました。凱旋門から放射状に道が整備され、沿道の建物の高さと意匠が統一された美しい街並みは、パリ改造の賜物です。パリ改造がなければ、「花の都パリ」も生まれなかったわけですが、同時に「蚤の市」もなかったかもしれません。
蚤の市には、骨董品も売っていますし、骨董商が店を出していることもあります。一方で、骨董市もありますが、一般の人が店を出しているような場合もあります。このあたりの区分は判然としませんが、とにかく蚤の市は、なんでもありといった風情です。欧州へ旅する時には、滞在する街の蚤の市の開催状況を確認し、可能な限り、冷やかしに行くことにしています。一番楽しかったのは、ローマの泥棒市とも呼ばれるポルタポルテーゼの蚤の市です。ローマの下町トラステヴェレで、毎週日曜日に開催されます。かなりしっかりした骨董品から、バッタものの日用雑貨まで、ありとあらゆる物が並んでいます。なかには意味不明なものもあり、まさに泥棒市の風情です。
蚤の市は、19世紀に始まったわけですが、「市(いち)」自体は、太古の昔から、世界中にありました。市は、開催日が決められ賑わうようになり、都市化が進むと常設化されるものも登場し、商店街や市場になっていきます。不思議だと思うのは、日米に比べて、欧州では、蚤の市に限らず、生鮮食料品等の古い市が多く残っています。古い町並みを残す欧州ならでは、とも思います。アメリカの町は歴史が浅く、日本の町は空襲で焼け野原になりました。結果、モータリゼーションの進展に伴い、日米では、郊外型大型店舗へ移行していったように思えます。ただ、欧州のモータリゼーションは日米と大差なく、また、希に郊外型の大型店舗も存在します。それでも、古い形の市が多く残っているわけです。
恐らく、最大の理由は、大型店舗に対する規制法のあり方なのだと思います。欧州各国では、早くから大型店舗に対する厳しい規制が設けられています。また、出店法に関しては、自治体が権限を持っている国も多く存在します。古い町並みと伝統を守るため、そして小規模な生産者や商業者を守るために、住民たちが大型店舗を否定したわけです。欧州には、都市の自治に関する長い歴史があります。幕藩体制を崩し、一気に中央集権化を進めた日本とは大違いです。日本にも大型店舗の規制はありました。ただ、1990年代の日米構造協議に基づいて規制は緩和され、一気に大型店舗が出店し、地方都市の空洞化、シャッター街化が進みました。2006年には、地方都市の再生や高齢化対策として、大型店舗の出店規制が再び強化されています。(写真出典:minube.net)