1284年6月25日、ねずみの大量発生で困っていたハーメルンの街に、カラフルな衣装をまとい、笛を持った男が現れます。男は、お金をくれるなら、街中のねずみを退治すると提案し、街は、それを受け入れます。男が笛を吹くと、ねずみたちが集まります。男は、そのまま川まで行って、ねずみたちを溺死させます。ところが、街の人たちは、約束のお金を払いませんでした。怒った男は、代わりにお前たちの大事なものをいただく、と言い残し消えます。翌26日、大人たちが教会に行っている間に再び現れた男は、笛で130人の子供たちを集めて洞窟に入り、中から岩で入口を閉じ、二度と出てきませんでした。
もちろん、額面どおりの事実ではなく、なんらかの事件、 事象を比喩的に伝えている伝承なのでしょう。これまで、実に様々な解釈や研究が行われてきたようです。ねずみとの関係からペストで多くの市民が亡くなったことを伝えているという説があります。笛吹男は死神であり、感染を恐れて死者を洞窟に埋葬したのかもしれません。説得力のある話ですが、ペストの流行は、100年後のことであり、辻褄があいません。 他には、単純な悪魔の仕業説、土砂崩れ等の自然災害説、笛吹男は児童性愛者だった説、少年十字軍説、 等々があったようです。最も有力、 かつハーメルン市も認めている説は、東方への植民説です。
当時、ドイツでは、人口増加に伴い土地が不足し、農家の長男以外は、農奴になるか、失業者としてさまようかしかなかったと言います。そこで、東方への植民が始まり、ロカトールという植民請負業までいたようです。恐らく、農家の次男坊以下が、人身売買の形で、ロカトールに連れて行かれたのでしょう。その頃、人身売買自体は珍しいことではなかったでしょうが、親の切なさが、笛吹男の話へと転嫁されたのだと思います。仔細な調査の結果、ポーランド近くまでの東方には、ドイツ由来と思われる地名や、ハーメルンに多かった名字が散在していることが判明しています。
植民先としては、トランシルヴァニアが有力視されているようです。後に、ドラキュラ伯爵で有名になるトランシルヴァニアは、当時、モンゴルの侵略を受けて、かなり荒廃していたようです。多くの農民が殺戮され、農地を耕す人が不足していたわけです。モンゴルの侵略が、ハーメルンの笛吹男につながるわけで、まさに世界史観を実感させられる話です。(写真出典:ja.wikipedia.org)