2021年8月17日火曜日

時計台

世界三大がっかりと言えば、シンガポールのマ―ライオン、コペンハーゲンの人魚姫、ブリュッセルの小便小僧のことです。日本三大がっかりは、札幌の時計台、高知のはりまや橋、長崎のオランダ坂とされます。いずれも随分有名ながら、自分が想像していた外見と違ったので、からがっかりしたとは、身勝手で、失礼な話でもあります。それぞれの背景や出来栄えをしっかり理解してもらいたいものだと思います。

札幌市時計台は、思い切り下から煽った写真が多く、それらに比して、実物はさほど大きくないこと、そして周囲が高いビルだらけなので一層小さく見えることが、がっかりの要因なのでしょう。札幌農学校の演舞場だった時計台は、クラーク博士の発案によって、1878年に建設されました。在校生も少なく、しかも武芸専用の体育館ですから、十分な規模だったのでしょう。3年後、時計台が取り付けられています。時計は、アメリカのハワード社製の重錘振子式時計であり、今も現役で、鐘が時を告げています。1903年、農学校の移転に伴い、時計台は札幌市に移管されます。その後、メンテナンスに綻びが生じ、昭和初期には止まったままだったそうです。

明治期、時計の保守を担当したのは、東日本一の時計店だったなかの時計店でした。そこで修行した井上清が、1928年、時計台近くに自分の店を出します。時計台の時計は、永らく止まったままであることに心を痛めた井上は、札幌市に保修を掛け合いますが、断られます。思い余った井上は、時計台に忍び込み、さび付いた時計の分解掃除を始めます。井上の丁寧な仕事の甲斐もあり、時計は、再び動き始めます。札幌市も、これを追認し、井上は、ボランティアとしてメンテナンスを続けました。さらに井上の息子和雄が跡を継ぎます。和雄は、小学校時代、先生から「時計台の時計はお前が守るんだ」と言われて育ったそうです。

市の非常勤職員となった和雄は、2014年まで保守に携わり引退しています。現在は、和雄の指導を受けた市の職員2名がメンテナンスを行っているようです。錘の巻き上げ、注油、分解掃除の他にも、震度3以上の地震で狂いが生じ、自動車の振動でねじが緩むこと等への対応も必要だと言います。札幌市時計台は、日本最古の時計台です。140年間、風雪や地震等にも耐え、時を刻み続けられたのは、ハワード社の頑丈な時計、堅牢な建屋のおかげでもありますが、雨の日も、雪の日も時計台に通い続けた井上親子の献身的な貢献なかりせば、ということになります。道路にへばりついて写真を撮るだけでなく、入館して展示も見てもらいたいものだと思います。

ちなみに、演舞場を作るというクラーク博士の発想ですが、北辺の守りを固めるという意味があったようです。ただ、農学校の学生の人数などしれたものでしかありません。クラーク博士の構想は、ロシアが攻めてきた時、農学校の学生たちが指揮官として、屯田兵を率いて戦うというものだったと言われます。戦時の指揮官としての日ごろの覚悟と鍛錬のために、演舞場は重要な意味を持っていたわけです。札幌市時計台は、北海道開拓当初の緊張感を伝える歴史遺構でもあります。(写真出典:skyticket.jp)

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