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知覧特攻平和会館 |
古今東西、戦いの場では、決死隊の組成、あるいは決死の突撃が行われてきました。決死とは、死亡リスクが高い、 あるいは死を覚悟して戦う、という意味であり、死ぬことではありません。日清・日露の戦争でも、決死隊はありました。無論、志願が前提であり、支援・救援態勢が組まれ、かつ最悪の場合、遺体が回収できることが作戦承認の最低条件だったと聞きます。特攻隊は、それらとは全く異なります。志願を前提としていたとしても、それは組織的な自殺の強要そのものです。特攻の原点となる水上特攻の案は、既に1943年夏頃、現場から出始めています。前線では、通常の兵器で、連合軍と戦うことの限界に気づいていたということでもあります。
では、特攻を判断した上層部は、皆、極悪非道の輩だったのか、というと必ずしもそうではありません。当初、現場から上がってきた発想を、幹部は全面否定します。神風特攻隊の大西中将ですら、最初は否定し、特攻隊司令になっても統帥上の外道であるとの認識を持っていました。いよいよ戦況が悪化すると、様々な条件付きで、一部特攻が始まります。志願制は大前提でした。直前脱出へのこだわりもありました。あるいは天皇の指示を避けた現場判断としての実行でもありました。特攻の非道性から目を背けたかったわけです。実は、神風特攻隊を知ったナチスも、「ゾンダーコマンド・エルベ(エルベ特攻隊)」を組織しています。案を聞いたヒトラーですら、当初、これを否定しています。実行する段階になった際には、これは命令ではなく自発的行為である、と強調したと言います。
では、上層部は、特攻を非道と思いながら、なぜ特攻を判断するに至ったのか。戦況が悪化したからであり、他に戦うすべがなかったから、と言えばそれまでです。ただ、そこには戦いを止める、つまり降伏という選択肢もあります。シビリアン・コントロールが機能していれば、合理的に最優先されるべき選択肢です。 軍政の実権を握る帝国軍人たちは、天皇の統帥権を盾にとって、シビリアン・コントロールをないがしろにし、さらには政治全般をも動かしていました。しかし、彼らは軍人であり、その本分は、戦争に勝つことであり、国と国民の安泰を保つことではありません。 明治期以降の成功体験もあり、戦陣訓の「生きて虜囚の辱を受けず」という精神が徹底されており、彼らに降伏という選択肢はありませんでした。
終戦の日の朝、 最後の陸軍大臣だった阿南惟幾は「一死以って大罪を謝し奉る」としたため、切腹します。天皇に対して、戦いに敗れたことを詫びているわけです。国と国民に対して、 悲惨な戦争に巻き込んだことを詫びているわけではありません。抗戦を主張した阿南の真意は不明ですが、最後のサムライであったと思います。暴走したサムライたちも問題ではありますが、それ以上に大問題と言わざるを得ないのは、サムライたちが文民統制下になかったことです。武力は文民統制、つまり国民の統制下に置くべきです。その仕組みに綻びが生じないように目を光らせるのも国民の義務です。曖昧な憲法解釈といった危うげな話には、十分気をつけるべきです。(写真出典:chiran-tokkou.jp)