2021年6月9日水曜日

ズブロッカ

20代半ばの頃、銀座のロシア料理屋へ4人で行った時のことです。その店では、ズブロッカを瓶ごと凍らせて出してくれました。そもそも口あたりの良いズブロッカですが、キンキンに冷やすと、一段と飲みやすくなります。その日は、スラブ系の飲み方を気取り、何かに乾杯してオンス・グラスを一気に煽るスタイルでいきました。これが楽しくて、結果、4人で4本を空けました。ズブロッカのアルコール度数は37.5度。危険な飲み方です。その頃は、決して酒に強い方ではなかった私としては、完全に飲みすぎでした。 

地下にあったほの暗い店から階段を上がって地上に出ると、銀座のネオンが、すべて放射状に拡散して見えました。要は瞳孔が開いていたわけです。アルコールの血中濃度が上がると、中枢神経に抑制効果がかかり、反応が鈍くなります。眩しくても、瞳孔が閉じない状態になっていたわけです。皆と別れ、何とか新橋駅にたどりつき、ホームのベンチに座り込みました。多少は落ち着くかと思ったのですが、依然、もの皆すべて放射状に眩しく光って見えます。これは、相当にヤバイと思い、三井アーバンホテルに飛び込み、ベッドに倒れ込みました。銭金のことは言ってられない状況でしたが、悲しいことに、空いていた部屋は、ベッドが3つもある部屋でした。

ズブロッカは、ポーランドを代表するフレイバード・ウォッカです。ボトルのなかに、バイソン・グラスというイネ科の植物の葉が一本入っています。起源は古く、14世紀と言われます。ウォッカの蒸留が始まった頃で、まだ技術が十分に確立されておらず、残留物が嫌な臭いを発していたようです。それを消すために、長寿の妙薬とされていたバイソン・グラスを加えたのだそうです。バイソン・グラスは、欧州で唯一太古の姿を留めると言われる世界遺産”ビアウォヴィエジャの森”にしか自生しないと言います。その採取は、厳しく制限され、20家族だけが許されているそうです。多少甘味のある緑濃い香りが特徴ですが、香りだけでなく、ズブロッカの味や色、そして舌ざわりにも独特な風味を与えています。日本では、よく桜餅の香りに似ているとも言われます。

ズブロッカが日本に入ってきたのは、いつの頃なのかは、よく分かりません。現在の製法が確立したのが、1953年と言いますから、それ以降なのでしょう。ズブロッカは、決してメジャーな酒ではありませんでした。ただ、徐々にズブロッカの知名度が上がっていったのは、開高健の貢献によるところが大きいと思います。自他ともに認めるズブロッカ・ファンだった開高健は、多くのエッセイでズブロッカを取り上げ、世界の名酒とまで言い切っています。芥川賞作家、サントリーのコピー・ライター、ヴェトナム従軍記者、釣りキチ等、多様な顔を持つ開高健ですが、豊富な知識とこだわりで、そのエッセイは若者に大人気でした。恐らく開高健のエッセイでズブロッカを知り、はまった人も多かったのではないか、と想像できます。

ズブロッカの飲み方は、何といっても冷やしてストレートだと思います。とは言え、結構、強い酒です。ポーランドでは、倍量のアップル・ジュースを加えた”シャルロッカ”という飲み方も一般的だと言います。最近、日本でも広まりつつあるようです。ちなみに、シャルロッカは、ポーランド語でアップル・パイのことだそうです。世界のウォッカの売上ナンバー・ワンは、圧倒的にスミノフです。本場ロシアのウォッカと思われがちですが、純然たる米国企業による米国産ウォッカです。ズブロッカの世界での売り上げは、堂々の第5位とのこと。どちらかと言えば、マイナーな酒だと思っていたので、これには驚きました。(写真出典:aucfan.com)

マクア渓谷