2021年6月10日木曜日

渋谷系

野宮真紀
新潟に赴任していた頃は、とても忙しい日々が続き、少しホッとできるのは、日曜の朝くらいでした。そんな時に、よく聴いていたのが、テイ・トウワを中心とした渋谷系、そしてm-floでした。そもそも日本のポップを聴くことは皆無に近かったのですが、彼らの曲はリラックスできるように感じ、結構、ハマりました。新潟は米どころです。どこへ行くにも田んぼのなかを通っていきます。それはそれで、結構、気に入っていましたが、さすがに、毎日、田んぼを見ていたので、多少、東京を感じられる曲でバランスを取ろうとしていたのかも知れません。

90年代に流行した渋谷系は、音楽的には、実に軽い、中身のない、いわばカフェ・ミュージックと言えます。ただ、その音楽的なレベルは高く、従来の日本の音楽にはないセンスの良さを感じました。彼らの音楽に共通する都会的なムードは、生まれた時から多様な洋楽を聴いて育った彼らのネイチャーなのでしょう。70~80年代のいわゆるシティ・ポップの後継とも言われますが、少し違うように思います。シティ・ポップが登場した時には、日本のポップも変わったな、と思ったものです。はっぴいえんど、山下達郎、大瀧詠一、荒井由実、竹内まりあ、南義孝等々、思春期に洋楽に出会った人たちが、気合を入れて作り上げた新しい日本のポップスです。セブンスコードを巧みに使う都会的な楽曲が、高度成長期を経た日本の豊かさを象徴していたように思います。

渋谷系は、どちらかと言えば、都会的な若者たちの文化的ムーブメントの音楽的側面といった印象です。そのコアにあるのは、50~60年代の音楽やファッションといった文化へのリスペクトです。そして、それは渋谷独自の動きではなく、世界的な傾向でもありました。シティ・ポップが、あくまでも日本のポップスだったのに対して、渋谷系は、世界標準のポピュラー・ミュージックだったと思います。新しい世代は、易々と国境を越えたわけです。テイ・トウワは、その典型かも知れません。美大生だった頃のテイ・トウワの音楽は、坂本龍一をして「テクニックはないけど、異常にセンスが良い」とまで言わせたようです。グラフィック・デザインを学ぶためにNYへ留学したテイ・トウワは、1990年、ハウス・ミュージックのバンドの一員として、世界的メガ・ヒットを飛ばしています。

渋谷系を代表するバンドと言えば、ピチカート・ファイブということになります。軽くてお洒落な楽曲とともに、リード・ヴォーカルの野宮真紀のファッション性の高さも魅力だったのでしょう。ピチカート・ファイブは、国際的評価も高く、94年には北米デビュー、翌年には、アメリカとヨーロッパでのツアーを成功させています。さらにロバート・アルトマンがファッション業界をシニカルに描いた「プレタポルテ」、世界的に大ヒットした「チャーリーズ・エンジェル」や「オースティン・パワーズ」等、海外の映画でも楽曲が使われています。要は、60年代を彷彿とさせる上質なポップ・ミュージックとしてのセンスの良さが、国際性を勝ち得たということなのでしょう。ピチカート・ファイブは、2001年に解散しています。センスの良い人たちに評価されていたバンドは、よりポピュラーな存在へと変わりつつありました。解散は、見事なタイミングだったと思います。

m-floは、日本のラップの系譜のなかに位置付けられるのでしょうが、VERBALの持つ音楽的センスの良さは渋谷系に通じます。在日韓国人のVERBALは、米国で教育を受け、牧師を目指していました。このミックス・カルチュアルなバッググラウンドが、世界で通用する抜群の音楽センスを生んだのでしょう。いずれにしても、渋谷系以降、国境をものともしない日本のミュージシャンが増えたと言えそうです。ただ、それは、まだエレクトロやラップといった特定の分野に限られているように思います。国家政策としてコンテンツ産業を育成してきた韓国の成功とは、まったく異なる動きではありますが、日本のミュージシャンも、確実に国境を越える人が増えつつあると思います。(写真出典:columbia.jp)

マクア渓谷