2021年6月4日金曜日

ナルコ・ステート

エル・チャポ
1980年代末、NYで高名な弁護士を接待したことがあります。食事中、彼が、麻薬は合法化すべきだ、と持論を展開します。初めは冗談かと思いました。ところが、極めて真面目な話でした。莫大な税金を投入しても麻薬との戦いには勝てない。信じがたい税金の無駄遣いだ。その間に、膨大なナルコ・マネー(麻薬資金)がアンダーグランド化し、アメリカ経済は縮小していく。禁酒法時代と同じようなことが起きている。死に至る麻薬の使用は、ギャンブル同様、個人の選択だ。合法化し、高い税金をかけた方が、合理的だ。確かに、理にかなった話のように聞こえます。ただ、いずれにしても、麻薬を買う金欲しさの犯罪は高止まりし、麻薬中毒で働けない人の増加は経済を蝕むなど、麻薬が社会にもたらす厄災は変わりません。

各国政府も国際機関も、麻薬の供給サイドを摘発することを主眼に麻薬対策を行ってきました。ところが、一つの供給組織やルートを潰したとしても、そこに市場がある限り、別の麻薬組織が開いた穴を埋めにきます。需要がある限り、このイタチごっこは、終わることがありません。供給を断つ作戦は、効果が乏しく、確かに税金の無駄遣いとも言えます。かと言って、需要サイド、つまり麻薬を使う人を摘発しようとすれば、どれだけ警官を増やしたところで、到底、根絶などできません。近年、需要サイドに対する新たな取り組みとして、摘発ではなく、治療を施すという流れが始まっています。即効性はまったくありません。ただ、残された唯一の道になる可能性を秘めています。

2006年、カルデロンが大統領に就任すると、メキシコ政府は、全面的な麻薬戦争に突入します。カルデロンは、米国当局とも連携し、警察のみならず軍も投入して、麻薬カルテル撲滅を図ります。カルテル側も、激しい武力抗戦を行い、毎年、双方で数千人が犠牲となりました。また、メキシコは、カルテルによる政府・警察への浸透が相当程度進んでおり、いわばナルコ・ステート、つまり麻薬マネーに基づく国家、という様相も呈していました。カルデロンは、ここにも容赦なく捜査のメスを入れていきます。まさに戦争状態であり、特にチワワ州の国境の街シウダ・フアレスでは、カルテル同志の抗争も加わり、年間の殺人事件は2,600件にのぼり、世界一治安の悪い街と言われました。麻薬戦争による治安の悪化は国民の批判を集め、政府側による殺害や拷問も国際的に批判されました。それでもカルデロンは、一定の成果をあげたと言えます。

カルデロン以降も、麻薬戦争は続きました。その間に、90年代から君臨するカルテルの主だった幹部たちは、殺害、もしくは投獄されたと言います。しかし、潰されたカルテルの後にできた空白は、新興のカルテルが埋めていきます。麻薬戦争を象徴する事件と言えば、エル・チャポことホアキン・グスマンの、2度に渡る投獄と脱獄だと思います。映画やTVドラマ化もされています。エル・チャポに限らず、メキシコ麻薬戦争は、実に多くの小説や映画に描かれています。映画ではコーエン兄弟の「ノーカントリー」、小説ではドン・ウィンズロウの「犬の力」三部作あたりが白眉だと思います。「犬の力」三部作は、30年間に及ぶ、ナルコ叙事詩とも言えます。この2作品に共通するのは、乾いた暴力だと思います。

2018年に就任したアンドレス・マヌエル・ロペス・オブラドール大統領、通称AMLO(アムロ)は、「麻薬戦争は終わった、我々は平和を望んでいる」と宣言し、薬物の所持や使用を合法化し、取締資金を薬物依存の治療に回していく方針を語っています。しかし、この間にも、メキシコの犯罪は増加の一途をたどっています。AMLOの政策に対する批判が増え、支持率も低下しています。彼のアプローチは、一朝一夕に効果を出せるものではありません。また、巨大市場アメリカと連携しなければ、多少国内の麻薬常習者を減らせたとしても、これまで以上に強固なナルコ・ステートができあがるリスクがあります。考え方は理解できますが、本来は、需要サイドであるアメリカが取り組むべき政策のように思います。(写真出典:veja.abril.com)

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