暴力団、あるいは反社会的勢力といった言葉が定着するとともに、”やくざ”という言葉の使い方が曖昧になってきました。”やくざ”という言葉の語源は、花札の”おいちょかぶ”という遊びに由来します。配られた2枚、あるいは追加の1枚の札の合計値の一の位が、9に近いほど勝ちという遊びです。追賭株とも書きます。配札が8と9なら、一の位は7となり、普通は追加の札を要求しません。それをあえて挑戦して3がでれば、0となり負けです。この一か八かと言う賭け方から893(やくざ)という言葉が生まれ、無謀な生き方をする者たちを指すようになります。生業、職業を指す言葉ではなく、生き方のあり様を言う言葉です。江戸期、士農工商という身分制度の外に置かれた博徒や香具師のなかには、そういう生き方をする者も多く、同義的に使われていったのでしょう。
博徒は、非合法の賭博を生業とする者たちです。江戸期、農村が自給自足から貨幣経済に組み込まれていく際、無宿と呼ばれるはみ出し者が生まれます。彼らは、生きにくい世を凌ぐために賭博を行ったようです。その世界を律するのは、武士の武士道と対比される任侠道です。中国の春秋戦国時代に起源を持つと言う任侠道は、はみ出し者ながら、仁義に厚く、自己犠牲をいとわぬ道です。また、各地には、「顔役」と呼ばれる親分肌の人たちもいました。必ずしも博徒というわけではありませんが、任侠道的な庶民のリーダーとでも言うべき存在であり、博徒を従える場合も多かったようです。任侠の人々は、生業からして、手荒いこともやりますが、決して素人衆には手を出さないという鉄則がありました。
対して香具師、あるいは的屋の歴史は、さらに古く、奈良時代まで遡ります。神社仏閣の建立・修繕のための普請に際し、境内に露店を出して縁起物等を商い、売上の一部を上納します。これが今に伝わる寺銭、いわゆる場所代の語源です。博徒の任侠道に対し、香具師は神農をあがめます。神農は、農業と医学の神であり、香具師が古くから商っていた漢方薬、あるいは歯科治療に由来すると言われます。戦後、的屋は博徒とともに暴力団に指定されます。的屋は、日本の祭りに欠かせない存在なので、暴力団指定は、ピンとこない面もあります。ただ、江戸の頃から、的屋も多様化し、危ない仕事も行い、もめ事の解決等に暴力を用いてきた面もあるのでしょう。また、戦後の闇市を仕切ったことが指定の大きな要因になったと思われます。
顔役や親分衆が、社会の当局の手に余る部分を、自律的に治めてきた面があり、社会には欠かせない存在だったと思われます。いわば、持ちつ持たれつの関係だったのでしょう。法治国家化が進み、司法当局も充実されると、別な理念で成立してきた世界は、邪魔者になります。様々な制約を受けた渡世人や稼業人は、地下へと潜る、つまり生きるために暴力団化せざるを得なかったという歴史なのでしょう。暴力団に指定される一方で、東映ヤクザ映画が一世を風靡し、的屋が主人公の映画がギネス・ブック級の大ヒットを飛ばすという現象は、単なるノスタルジー、あるいは高度成長のひずみの反映というばかりではなく、法治国家の矛盾や限界を示しているのかも知れません。(写真:シリーズ一番人気「寅次郎相合い傘」 出典:amazon.co.jp)