2021年6月21日月曜日

ベリー・ダンス

クラシック・バレエには、世界中のあらゆる舞踏の基本的要素が包括されている、と聞いたことがあります。つまり、バレエを習得すれば、 世界中の舞踏を踊ることができる、 ということです。 それほど、 バレエは、舞踏としての完成度が高いというわけです。舞踏家の皆さんは理解できる話かも知れませんが、素人にはピンとこない面があります。日舞やフラを、すぐに踊れるのだろうかと思いますし、一番難しそうなのは、ベリー・ダンスではないかと思います。バレエ・ダンサーが、ベリー・ダンスを踊っている姿は、想像すらできません。 

ベリー・ダンスは、妙な形で世界に広まったように思います。欧米人が、日本と言えば、フジヤマ、ゲイシャ、あるいはサムライ、ニンジャというのに似ています。そもそも、ベリー・ダンスという名称も、1893年のシカゴ万博の際、アメリカ人プロデューサーが命名し、以降、アメリカを中心に定着したようです。発祥の地とされるエジプトでは”ラクス・バラディー(国、あるいは自然の踊り)”、他のアラブ諸国では”ラクス・シャルキー(東方の踊り)”と呼ばれ、欧州でもオリエンタル・ダンスが一般的な名称です。その起源は、8千年前という説もありますが、いずれにしても世界最古の舞踊とされています。元々は、子孫繁栄と五穀豊穣を祈る踊りだったようです。ま、それは世界中の踊りに共通する縁起のようにも思いますが。

恐らく大きな変化は、7世紀、アラブ世界のイスラム化とともに訪れたのではないでしょうか。イスラムでは、女性が家族以外に肌を見せることは戒められています。ただ、公衆浴場等、女性同士の場合は問題ありません。ラクス・シャルキーは、女性が女性の集まりで踊るものになっていったようです。腰の動きは、無事な出産を願い、あるいは出産を楽にするために体を鍛えるという意味もあったのでしょう。また、公共の場から締め出されたダンサーたちは、ロマに合流し、ラクス・シャルキーはロマの芸になったという説もあります。その意味において、フラメンコはラクス・シャルキーが起源とも言われます。ちなみに、ロマはジプシーとも呼ばれますが、語源はエジプシャンです。エジプトの踊りを踊る人たちという意味でしょうか。

さらに大きな転機が訪れたのは、18〜19世紀です。欧州では、オリエンタリズムが大流行し、絵画、芝居等、多くの分野で、アラブ文化が取り上げられるようになります。ただし、それは、あくまでも欧州目線で理解されたアラブ文化です。ラクス・シャルキーも、欧州人に"発見"され、エキゾチズムと官能の象徴とされていきます。 アラブの街では、ラクス・シャルキーが、 肌も露に踊るショーとして、 欧米人向けに観光化されていきます。また、20世紀になると、ハリウッドが、色物的にラクス・シャルキーを多用し、世界に広がっていきした。しかし、それはそれで、技も磨かれ、スターや達人も生まれます。近年では、 フィットネスとしても注目され、 アメリカでも、 日本でも、 それなりの人気を得ているようです。 

アラブ系の国々へ行った際に、幾度かラクス・シャルキーを見に行きました。特に、カイロとイスタンブールでは、街一番のナイトクラブでのショーを見ました。夜も更けた頃、ショーは前座から始まります。夜中を過ぎると、二つ目クラスの登場です。スタイルの良い美人が見事な技量で踊ります。ただ、聞けば、まだまだというレベルだというのです。では、真打は何時頃に登場するのか聞くと、3時か4時くらいとのことでした。旅人には、厳しい時間です。いずれの街でも、真打登場の前に店を退散しました。(写真出典:bellydancershabibi.wordpress.com)

マクア渓谷