2021年5月9日日曜日

脚のない鳥

ウォン・カーウァイ監督の第2作目「欲望の翼( 原題:阿飛正傳、英題:Days of Being Wild)」(1990) を初めて見ました。スタイリッシュでセンチメンタルな映像に、見事な音楽の選択。ウォン・カーウァイ作品は、心に残り、妙にムードを引きずる映画ばかりです。ただし、「花様年華」(2000) までという限定付きです。それ以降も、腕の確かさは間違いないものの、ウォン・カーウァイらしさは変わっていきます。「欲望の翼」は、2作目ながら、事実上のデビュー作のように思えます。監督の思い入れが詰まっており、夜明け直前の光のような瑞々しさが印象的です。オープニングの、ヴェールのかかったような濃いジャングル、そしてバックに流れるロス・インディオス・タバハラスの”Always in My Heart”が、強く印象に残ります。甘酸っぱさが胸から消えない傑作だと思います。

この映画は、レスリー・チャンの存在なしには成立しなかったのではないか、と思えるほど、その存在感が際立っています。若さゆえの純粋さ、不安、傲慢さを体現しています。作中、レスリー・チャンが語る「脚のない鳥は飛び続け、疲れたら風の中で眠り、生涯で1度だけ地上に降りる。それが最後の時」という言葉は、テネシー・ウィリアムズの戯曲「地獄のオルフェウス」の一節だそうです。青春そのものを表現した言葉のようでもあり、レスリー・チャン自身を語る言葉のようにも思えます。アジアを代表する映画スターでアイドル歌手でもあったレスリー・チャンは、2003年、マンダリン・オリエンタル香港から飛び降り自殺しています。チェン・カイコ―監督の傑作「さらば、わが愛/覇王別姫」での演技が記憶に残ります。

ウォン・カーウァイ作品は、ヌーベル・ヴァーグ的と言われます。散文詩的な、と言った方がいいかもしれません。例えば、黒澤明の絵コンテに忠実な七言絶句的映画の真反対にあります。その瑞々しさをうまく表現しているのは、盟友とも言える撮影監督クリストファー・ドイルの存在です。手持ちカメラの多用で有名ですが、光と色彩の扱い方もうまいカメラだと思います。監督は、しばしば現場で脚本を書き換えると言われます。それもあって、二部構成の作品として撮影が始まった本作も、タイムアップで一部だけとなったようです。ラストには、突然、トニー・レオンが登場し、身支度をするシーンで終わります。まったく謎の終わり方ですが、どうやら第二部の冒頭シーンだったようです。あえて言うなら、行き当たりばったり的な撮影が、奇跡的にポエトリーを生み出しているのかも知れません。

ウォン・カーウァイが執着するものの一つが、1960年前後のモダニズムだと思います。時代設定と言えばそれまでですが、空気感、会話、インテリア、ラテンを中心とした音楽、そしてファッション、特にノースリーブのタイトなワンピースへの強いこだわりを感じます。ヌーベル・ヴァーグへの憧憬でもあるのでしょうが、幼少期の記憶が原風景化しているのだと思います。ほぼ同じ年代の私も、まったく同じ傾向があります。50年代モダニズムには、そこはかとない心地良さを感じます。実は、本作のこだわりの一つが、靴音ではないか、と思いました。ハイヒールの靴音です。会話との間の取り方が絶妙でした。「花様年華」、「2046」は、本作とともに60年代三部作と呼ばれますが、監督の、本作への、あるいはレスリー・チャンへの追憶、あるいは未練に過ぎないようにも思えます。

気になるのは原題の「阿飛正傳」です。”阿”は、姓の前に親しみを込めてつける接頭辞だと言います。飛(ヨディ)は主人公の名前です。明らかに魯迅の「阿Q正伝」がベースとなっています。阿Qは中国の大衆そのものでした。魯迅は、海外から押し寄せる近代化の波に対して、あまりにも蒙昧な大衆を深く憂慮し、警告の意味で「阿Q正伝」を書いたと言われます。ヨディ(レスリー・チャン)は、返還が迫る香港そのものなのでしょう。二人の女性を袖にして、フィリッピンまで探しに行った生母に拒絶され、異国で命を落とするヨディは、90年当時、ウォン・カーウァイが危惧した香港のアイデンティティそのもなのでしょう。監督の心配が現実のものになってしまったようにも思えます。(写真出典:filmarks.com)

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