2021年5月19日水曜日

豚まん

大阪へ出張し、土曜は東京に帰るだけという日程の場合、私は、必ず神戸に寄って、新神戸から新幹線に乗っていました。最大のお目当ては、老祥記の豚まんです。一番好きな豚まんですが、通販や冷凍販売は、まったく行っていないので、南京町へ行って、行列に並ぶしかないわけです。10時開店ですが、午後1時くらいには、売り切れてしまいます。一日当たりの販売個数は、約1万3千個。店内では、5~6人が餡を生地に包み、次から次と蒸しています。蒸しあがると、皆、数十個単位で買っていきます。私は、60個ばかりをお土産に、3個は店で食べるというスタイルです。赤ちゃんの握りこぶしと言われるサイズなので、60個といっても、さほどの量ではありません。帰宅すると、20個はすぐに家族で食べ、40個は冷凍します。冷凍すると、さすがに風味は落ちますが、それでも十分に楽しめます。

老祥記の豚まん最大の特徴は、独特の皮にあると思います。他の店とはまったく異なる風味がクセになります。豚まんの生地は、通常、イースト菌を使って発酵させますが、老祥記は麹菌を使い、まる一日かけて自然発酵させているとのこと。麹菌は、手間も暇もかかるわけですが、創業以来、変わらぬ製法を守っているようです。また、具材は、豚肉に少々の牛肉、そして青ネギだけです。玉ねぎを使って甘味を出すのが一般的だと思いますが、老祥記は、皮との相性を考え、一切使わないのだそうです。また、小ぶりなサイズは、老祥記の豚まんのルーツである天津包子の伝統らしいのですが、これまた皮との相性が、最もいいサイズなのだそうです。いずれにしても、皮こそ、老祥記の豚まんの命だと言えます。

老祥記は、1915年創業。日本で最初に豚まんを商った店だとされます。1927年、新宿中村屋という説もありますが、それは日本風の中華まんじゅうのことのようです。老祥記の創業者曹松琪は、浙江省寧波出身ですが、故郷から麹を持って来日したと言います。伝統の天津包子を、日本人にも親しまれるようにと豚饅頭と名付けて販売しました。開店当時は、中国の船員たちが故郷の味を求めて集まる店だったようです。さすが、港神戸です。戦争中、神戸も空襲を受けます。曹松琪は、既に亡くなっていましたが、その妻千代が、必死で麹を守り抜いたと言います。また、阪神淡路大震災の折も、南京町は大きなダメージを受けますが、麹だけは守ったそうです。皆、あまり気が付いていないようですが、店内には古い引き戸があります。以前の店の引き戸なのですが、取っ手の部分に穴が開いています。客の出入りが多すぎて、穴が開いたのだそうです。老祥記の勲章です。

そもそも、中華まんじゅうは、諸葛孔明が発明したという話があります。諸葛孔明は、南蛮征伐から帰還する際、川が氾濫しており、渡れませんでした。人間の首を生贄として川の神に捧げると、氾濫は収まると、地元の人から聞きます。ただ、部下の中から人柱を出したくないと思った諸葛孔明は、首に見立てた饅頭を作り、川に捧げました。すると、氾濫は見事に収まり、無事に渡河できたといいます。実際にあったことなのかもしれませんが、これが中華まんの始まりだとは、とても思えません。諸葛孔明から遡ること2~3千年、農耕が始まり、蒸し料理が発明されるとほぼ同時に、饅頭、包子の類は存在していたものと考えます。

蒸したての老祥記の豚まんは、とてもいい匂いがします。しばらくは冷めないので、新幹線のなかでも、その匂いが広がります。皆が好きとも限らないので、いつも気になったものです。そこで、南京町一番の老舗である民生廣東料理店やお気に入りのパティスリー・トゥース・トゥースに寄ったり、あるいはサ・マーシュまで足を延ばしてパンを買ったりしながら、豚まんを冷まし、新幹線に乗っていました。神戸は、いくらでも時間が潰せる街です。(写真出典:tabelog.com)

マクア渓谷