2021年4月3日土曜日

レトルト・パウチ

 1992年、5年間のNY駐在を終えて帰国した際、喫茶店で食べるハンバーグとカレーのレベルが上がっていることに気付きました。かつては、店によって大きな違いがあり、不味い店も多くありました。ところが、どこでも食べても一定レベル以上の味になっているのです。ハンバーグは、ふっくらとして、上出来のデミグラ・ソースがかかっていました。カレーは、スパイスの調合が上手で、よく煮込んでありました。変われば変わるものだと感心していましたが、ある日、皆、同じような味であることに気付きました。要は、業務用のレトルト・パウチ食品を使っていたのです。

食事をメイン・メニューとしない店では、実に効率的な方法です。しかも、一定レベル以上の安定的な味を提供できるわけです。もちろん、面白みは失われました。レトルト・パウチ食品は、1950年頃、アメリカ陸軍の研究所で、缶詰に替わる軍事糧食、いわゆるレーションとして開発されました。缶詰は、重く、空き缶の処理に困ることから、研究されたようです。密閉後に加熱殺菌することは同じなので、要は、缶をパウチ(小袋)に替えたというわけです。そもそも1804年にフランスで発明された缶詰も、レーションとして開発されたものです。缶詰は、一般用としても、大いに普及しましたが、レトルト・パウチはアメリカの家庭には浸透しませんでした。当時のアメリカの家庭には、既に大型フリーザーがあり、冷凍食品が普及していたからでした。

レトルト・パウチが一般用として普及したのは日本でした。1968年、大塚食品が発売した「ボン・カレー」は、世界初の家庭用レトルト食品です。カレー粉の在庫を減らすために考案されたと言います。従来のレトルト・パウチを改良し、アルミ製のパウチを使うことで、賞味期限を2年まで伸ばします。当時としては、衝撃的な賞味期限です。ただ、発売当初は、苦戦したようです。きつい防腐剤を使っているのではないか、あるいは値段が高いといった声が多かったようです。大塚食品は、知名度を上げるために、イメージ・キャラクターの松山容子がパッケージを持っているホーロー引きの看板を全国津々浦々に貼り付けます。その数、実に9万5千枚と言いますから、もはやギネス・クラスです。加えて、ボン・カレーが全国に浸透したのは、おそらく笑福亭仁鶴のTVCMの効果だったと思われます。当時、人気だった「子連れ狼」の名セリフをパロって「3分待つのだぞ。じっと我慢の子であった」というフレーズが大評判となりました。

数年前のデータですが、日本のレトルト・カレーは、3,000種類と言われます。近年、ご当地カレーがブームとなり、各地の土産物店には、レトルト・カレーが並びます。ついに国技館まで、大相撲カレーを発売し、相撲観戦の土産として売れています。カレーの種類は、今現在、優に3,000を超えてことでしょう。カレーの他にも、シチュー、スープ、丼物の具、パスタ・ソース等、数多くあります。総じて、味の濃いものが多いのは、加熱した際に出ることのあるレトルト臭が気ならないためだと言われます。その加熱方法も、熱湯3分タイプに加え、レンジ・タイプも多く見かけるようになりました。レトルト・パウチ食品は、まだまだ進化、拡大していきそうです。家庭の食事は、SF映画の宇宙船内での食事のようになるのかも知れません。

日本の世帯に占める一人世帯数は25%を超えています。65歳以上人口に限れば、約17%が独居老人となり、しかも日々増えていると言います。興味深いことに、その8割近くが、一人暮らしを望んでると言います。孫子と暮らすのは煩わしい、と思うのでしょうね。スーパーやコンビニでは、個食用の小さな総菜が売れています。これからは、さらに大きな市場となるのでしょう。レトルト・パウチの出番は、まだまだ増えていきそうです。(写真出典:amazon.co.jp)

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