2021年4月19日月曜日

カイザー・ソゼ

※以下は、いわゆる「ネタばれ」前提の内容となっています。

若いころには、同じ映画を何度も見ました。最も多く見たのは、 クロード・ルルーシュ監督の「男と女」で、ビデオのない時代、映画館で30回くらい見ています。その後、同じ映画を何度も見ることはなくなりました。ビデオの時代に入り、いつでも見れると思うようになったからかも知れません。唯一の例外は、ブライアン・シンガー監督の「ユージャル・サスペクツ」(1995)です。 どんでん返しが売りのサスペンスと言えばそれまでですが、実は、映画史上、稀に見ると言っていいくらいユニークなプロットを持つ映画です。何度も見たくなるというか、見ざるを得ない魅力があります。

映画の中心的プロットは、謎の黒幕カイザー・ソゼの存在です。その業界では冷酷さで知られるカイザー・ソゼですが、姿を現すことはなく、その存在すら疑う者もいます。ストーリーは、ソゼを中心に回り、終盤では”ソゼは誰か”に収れんしていきます。そして、最後のどんでん返しになるわけですが、キント(ケヴィン・スペイシー)の偽装された障害、金の腕時計、左利き、迎えの車とそれを運転するコバヤシ、生き残った船員による似顔絵、と散りばめられた伏線は回収され、映像は明快にキントをソゼだと指しています。観客は、なるほど、と納得するわけですが、実は、ソゼは誰かについて、映画は明確にしていません。「解説はしない」が、この映画のコンセプトの一つです。

この映画は、二重構造になっています。関税捜査官や警察の目線から見た現在のシーン、そしてキントが語る事件の回想シーンです。キントの回想は、現在のシーンと同様フラットに提示されます。恐らくキントは、ウソをついていません。ソゼは、ウソをつく理由すらないのだと思います。なぜなら、ソゼのねらいもシナリオも、まったく別なところにあるからです。それは、正体をあばかれない、その一点です。船を襲撃したねらいも、ソゼの顔を知るアルゼンチン人の殺害でした。キートンにこだわり、彼こそソゼだという捜査官の持論についても、キントは、否定はせず、むしろ戸惑うふりで、うまく誘導しているように見えます。ここでも、映画は、何の解説もしていません。

通常のミステリー映画では、観客に重要な事柄を隠したり、登場人物が誤った方向に誘導したりします。この映画では、画面上にそうしたミスディレクションもミスディテクションもありません。ただ、画面の外に、ソゼのシナリオが流れているわけです。実に巧みな、画期的なミスディレクションを発見したものだと思います。ただ、それだけでは、エンターテイメントとしての映画は成立しにくいので、多数の伏線がバラまかれているわけです。この表面的にはシンプルながら、その構造は実に複雑という映画の成功は、見事な脚本、そしてケヴィン・スペイシーの存在によるところが大きいと言えます。スペイシーは、演技というよりも、そのキャラクターそのものがミステリーです。

今や、 話題作ともなれば、 製作費100億円以上が当たり前の時代ですが、 本作はわずか6億円。 ただ、興業成績は、4倍近い23億円を記録しました。小品ながら、大ヒットです。しかも、今だにネット配信で根強い人気だと聞きます。やはり、何度も見返すファンが多いのでしょう。世界中で高い評価を得て、クリストファー・マッカリーがアカデミー脚本賞、本作が出世作となったケヴィン・スペイシーもアカデミー助演男優賞を獲得しています。(写真出典:amazon.co.jp)

マクア渓谷