2021年4月16日金曜日

「異端の鳥」

監督:ヴァーツラフ・マルホウル    2019年チェコ・ スロバキア・ウクライナ

☆☆☆☆

原題の” The Painted Bird ” は、色を塗られた鳥が、群れの中で異端者として攻撃されることを象徴しています。作中でも、その現象が映し出されています。本作は、ユダヤ人の長い迫害の歴史をたどる旅でもあり、異端者に対する人間の恐怖ゆえの攻撃性、あるいは人間の持つ本質的な悪性を描いています。各映画祭で絶賛される一方、その残忍なシーンに耐えかねて退席する人の多さでも話題となりました。白黒の荘厳とも言える映像は極めて美しく、衝撃的な描写を客体化する効果も持たせているように思います。

途中退席者の多さは、残酷な描写ゆえですが、うがった見方をすれば、欧米人は、自らの醜い姿を突き付けられることに耐えられなかったからだとも言えます。一人放浪するユダヤ人の少年を虐待するのは、ナチスだけはありませんでした。キリスト教徒たちが、残忍な仕打ちを行うのです。ただ、少年を逃がすナチス古参兵や少年を助ける村の司祭など、救いは残しています。本作では、特定の国が批判されることを避けるために、インタースラーヴィクという、スラブ諸国の人々が意思疎通できるよう作られた国際言語が使われています。その歴史は古く、17世紀には、既に存在していたようです。エスペラントのように、まったく新たに開発された国際言語ではなく、各スラブ系言語に共通する要素から無理なく紡ぎ出される言葉だとされます。

異端者に対する差別は、人間の組織防衛、ひいては自己の防衛本能の成せる技でもあり、差別の根絶は、理性を持って行うしかありません。一神教の世界では、これを難しくする構図もあります。欧州の宗教戦争くらい残忍な戦争は無かったとも言われます。なぜなら、異なる信仰は邪教とされ、異教徒は悪そのものであり、人間ではないとする狂信性があるからです。人間ではない邪教者であれば、残忍に殺害しても、教団から褒められることはあっても、非難されることはありません。これが一神教の強さでもあり、怖さでもあります。異端者を目の前にした時、一神教の人々は、人間の持つ本質以上に難しい対応、あるいは信仰告白を迫られるとも言えます。

原作は、イェジー・コシンスキーが1965年に発表した同名小説です。コシンスキーはユダヤ系ポーランド人。キリスト教徒に偽装してホロコーストを逃れ、そのトラウマから失語症にもなったようです。1957年にポーランドを脱国、紆余曲折を経てアメリカで成功します。自伝的とも言える「異端の鳥」は、世界的ベストセラーになったようです。原作の方が、より残忍な描写があり、出版時には、本作同様、絶賛もされ、様々な物議も醸したようです。チェコのマルホウル監督が映画化権を取得したのは2012年でした。資金集めに苦心した後、2017年から各地で撮影を開始したようです。見事な映像を撮った撮影監督はウラジミール・スムトニー。チェコ映画界の重鎮だそうです。

本作のポスターにも使わている少年が首まで土中に埋められているシーンがあります。カラスに突かれ血を流します。衝撃的なシーンですが、実は、これは虐待ではなく、熱病に侵された少年の治療として行われたものです。日本でも、江戸時代、フグの毒にあたると、同様の治療が行われました。フグの毒にあたると、呼吸を司る胸膈が機能麻痺し、呼吸困難になるそうです。土中に埋めて胸膈を固定すると、横隔膜が緊急避難的にかすかな呼吸を可能にするそうです。その間に、体を冷やし、毒素の巡りを遅らせ、自然に解毒されるのを待つという療法だそうです。もちろん、確実性に欠ける民間療法ですが、理にはかなっているようです。(写真出典:filmarks.com)

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