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雅楽 |
音楽は、各国で、それぞれ独自の進化を遂げてきました。その違いが分かりやすいのは楽器やその音色、そして独自の音階です。音階を聞けば、即座に、その国がイメージできます。各国の音階は、ほぼほぼ西洋音階で表すことができます。”ヨナ抜き”という言い方も、西洋音楽ベースです。いわば西洋音階が比較のための標準を提供してくれたわけです。日本では、他に、ニロ抜き音階が有名です。いわゆる琉球音階です。ヨナ抜き音階は、前述のとおり、スコットランドやアイルランド、あるいはラテンアメリカのフォルクローレでも使われ、必ずしも日本独自というわけではありません。私見ですが、エチオピアのオルガン奏者ハイレ・メルギアなど聞くと、日本の民謡か歌謡曲かと思うほどです。エチオピアも、ヨナ抜き好きだと思われます。
では、江戸期までに成立した民謡や童歌は、いかにしてヨナ抜きになったのか、ということが気になります。これが、なかなか分からないわけです。古代日本の音楽事情については、記紀等にも記載があり、分かっていることも多いのですが、どのようなものだったかは不明です。5世紀頃、まずは朝鮮半島から百済楽等、そして中国から唐楽が入ってきたようです。その後、南ヴェトナムの林邑楽、仏教の声明、朝鮮半島の伎楽等も入り、平安期には、それらが日本独特の雅楽を構成します。雅楽には、日本固有の俗謡等も取り入れられているようです。平安末期には、声明にルーツを持つ今様が、庶民の間で流行し、宮中にも取り入れられたようです。今様は、鎌倉期に廃れますが、雅楽の「越天楽」によすがを残していると言われます。
武士の世になると、権力とともに、音楽も宮中を出ます。というか、宮廷外の出来事も記録に残るようになったわけです。琵琶法師が平家物語を語る平調が生まれ、世阿弥が猿楽を能楽へと大成し、出雲阿国が歌舞伎踊りブームを巻き起こします。16世紀と言われる三味線の渡来は、日本の音楽事情を激変させました。浄瑠璃から歌舞伎へ、そして常磐津、新内、長唄等と、江戸期の文化や音楽の豊穣を生んでいきます。恐らく、この時期、それらの影響を受けつつ、民謡も大きく進化してたのではないでしょうか。日本各地の民謡は、記録が乏しいものの、かなり古くから労働歌や祝祭歌として存在していたはずです。それが江戸期の音楽の成熟を受け、かつ三味線や虚無僧尺八の普及によって完成度を増したのでしょう。そして、そのほぼすべてがヨナ抜き音階であり、日本人の体に深くしみこんでいったものと思われます。
結局、ヨナ抜きの浸透過程は、よく分かりません。雅楽の呂旋法は、古典のなかで唯一のヨナ抜きと言われるようですが、それが継承されていった節はありませんし、ましてや民謡に色濃く反映されたとも思えません。歌は世はつれ、世は歌につれ、と言います。絵画等と違って、記譜されていない音楽は消えていきます。民間の記録が不十分であることと併せ考えれば、全てをたどることはできません。ヨナ抜き音階は、四季が織りなす美しい日本の風土が生んだ音階、とでも言っておくべきなのでしょう。(写真出典:kunaicho.go.jp)