2021年3月22日月曜日

「シン・エヴァンゲリオン劇場版」

 総監督:庵野秀明 監督:鶴巻和哉・中山勝一・前田真宏    2021年日本

☆☆☆☆

※タイトルの最後には演奏記号の「反復終了」が付きます。

本作を見るにあたり、まずは、エヴァのTVアニメ全26話(95~96年)、劇場版の「Air/まごころを、君に」、「DEATH (TRUE)2」、新劇場版の序・破・Qを見て、たっぷりとエヴァ・ワールドに浸りました。エヴァンゲリオン(福音)と謎の「使徒」と呼ばれる敵が戦うという暗示的な設定から、その世界観にハマりました。他にも、エヴァには、死海文書、アダム、リリス、知恵の実、マギ、最後の審判を思わせるセカンド・インパクト等々キリスト教からの暗示的な引用が多く、当初は、キリスト教の世界をテーマにしているのかと思いました。ただ、引用はしても、キリスト教ベースではなく、一神教的な終末論でもなく、むしろ新たな天地創造神話の様相を帯びています。

SFは、しばしば神の領域に入っていきます。未来のストーリーを展開しようとすれば、未来の世界を定義する、つまり新たな世界を創造する必要があるからです。そして創り上げた世界観を主題として提示するSFも多くあります。ただ、エヴァは、違うようです。世界観を暗示させるものが多く散りばめられていますが、説明されることもなく、厳密に論理的で科学的な構成を持っているようにも見えません。暗示に留めることで、世界観に奥行きを持たせたり、視聴者のマニアックな興味を引き出したりしているように思えます。SFアニメの世界では、暗示や複線といった小細工を配することは、一般的に行われる手法なのかもしれませんが、なかなかうまいやり方だと思います。

一見すると、エヴァの主題は、エディプス・コンプレックスのように思えます。シンジ、ミサト、アスカ、リツコに関しては、しつこいほどに親との関係性が提示されます。エヴァは、シンジ君たちが自我や超自我を形成していく物語とも言えます。そういう意味では、新たな創造神話というよりも、ジョーゼフ・キャンベルの比較神話論に近い正統派ファンタジーのように思えます。1) 天命が下る、2) 従者と旅に出る、3) 別世界へと入る、4) 指導者・協力者と出会う、5) 悪と出会う、6) 戦いのなかで成長する、7) 戦いを征する、8) 帰還してリーダーになる、というのがキャンベルの構成ですが、エヴァの場合、7)は典型的な形はとっておらず、8)はありません。

エヴァにおけるシンジの従者とは、エヴァ・パイロットたちであり、ミサト、リツコ、同級生たちなのでしょう。また、指導者・協力者は、一見、ミサトのようでもありますが、やはり綾波レイなのでしょう。多くの神話に登場する母のイメージを宿す女神そのものです。6)の”戦いのなかでの成長”は、キャンベルの原典では”Transformation(変容)”となります。憎しみと憧れの対象である父なるものへの変容です。変容して、はじめて父なるものと対等に戦えるわけです。エヴァで言うところの「覚醒」かも知れません。”7)戦いを征する”には、エヴァのユニークさが見えます。シンジがお膳立てをして、母なる女神が戦いに決着をつけ、シンジが父を理解する、という流れになっています。なお、エヴァには、8)の戦いの後の世界が無いわけですが、続編へ含みを持たせているようにも思えます。

シン・エヴァは、実によく構成された上出来の作品です。エヴァの世界観をベースに、スピード感もあり、エンターテイメント性も高く、おそらく予備知識無しでも十分に楽しめる作品になっていると思います。その分、世界観の深堀が抑えられた面もあり、マニアックなエヴァ・ファンには、やや消化不良かも知れません。”Game of Thrones”の最終回を巡る議論を思い起こさせます。ただ、新たな暗示も少なからず提示されており、様々な議論が、まだまだ続くことでしょう。(写真出典:itmedia.co.jp)

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