アンダーグラウンド・ファイト的な感じもしますが、要は、古い武術の姿を、変えることなく今に伝えているということなのでしょう。競技化される以前の古式ムエタイも、ラウェイに近いものだったようです。ラウェイの歴史は、千年を超えるといわれますが、古式ムエタイ同様、その起源ははっきりしていません。ただ、インドの古式武術カラリパヤットが源流であろうとされています。相撲の由来にも似ています。神事が先か後かは別にしても、戦場における実戦的武術として、そして武人の日ごろの鍛錬として発展してきたということなのでしょう。
カラリパヤットは、武器も使う総合的な武術ですが、もともと南部のケララ州のドラヴィダ人の武術と侵入してきたアーリア人の武術が融合して誕生したとされます。現在の形になったのは、12世紀頃といわれますが、その起源ならば、紀元前までさかのぼるのでしょう。カラリパヤットを源流とするのは、ラウェイやムエタイだけではありません。禅宗の開祖である達磨大師は、6世紀、インドから中国に渡り、嵩山少林寺を開きます。その際、カラリパヤットも伝え、少林拳が生まれたとされています。琉球古武術も、少林拳が源流という説もありますから、空手も、カラリパヤットの末裔であり、ラウェイの遠い親戚ということになります。
ミャンマーには、古くから、南部のモン族、北部のピュー族の国が栄えており、一時期、雲南の南詔国に支配された時代もありました。10世紀以降は、ヒマラヤ山脈北部に起源を持つとされるビルマ族が南下し、以降、ビルマ族、モン族、シャン族などのタイ族、山岳民族、さらにモンゴルやムガールが、イラワジ川流域に広がる豊かな穀倉地帯を巡って争ってきました。武術としてのラウェイが必要とされたわけです。19世紀には、英国が武力によってインドに統合し植民地化します。英国は、ミャンマーを多民族化し、お得意の分断統治を行います。今も続く民族紛争や貧富の差のタネがまかれたわけです。1947年には英国から独立を果たしますが、永らくネ・ウィンによる軍事独裁が続きます。それに終止符を打ったのは、88年の反政府運動でした。
しかし、即座に軍部が政権を掌握します。大衆は、たまたま英国から帰国していた独立の父アウンサンの娘アウンサン・スー・チーを担ぎ出して、国民民主連盟(NLD)を結成します。以降、2015年にNLDが政権を確保するまで、スー・チー女史は軟禁されながらも、民主化運動を率いてきました。2021年2月、軍部は、自らの利権を確保するために、クーデターを起こし、スー・チー女史も再び軟禁されます。大衆はデモに打って出て、軍部と対峙しています。既に多数の死者がでています。国民を守るために結成された国軍が、国民に銃を向けた瞬間、それはただの武装勢力に成り下がります。独裁に終止符を打ち、しぶとく民主政権を獲得した国民は、簡単には引き下がりません。ラウェイを国技とする国の国民は、倒れても、倒れても、立ち上がります。(写真出典:ja.wikipedia.org)