2021年2月9日火曜日

ズート・スーツ

Kid Creole
1980~90年代、NYを中心に活躍した”キッド・クレオール&ココナッツ”は、結構、好きなバンドでした。ラテン、ディスコ系の大編成バンドですが、ブラス・セクションやパーカッションが特徴的で、何よりもザ・ココナッツと呼ばれるバック・コーラスとダンスを担当する女性3人組が目立っていました。82年にヒットした「Stool Pigeon(密告者)」は大好きな曲で、今でもよく聞きます。40年代のビッグ・バンドのテイストを好み、ド派手なズート・スーツはキッド・クレオールの代名詞でした。カールスモーキー石井が、キッド・クレオールに刺激され、米米クラブを結成した話は有名です。

ズート・スーツは、やたら長いジャケットに幅の広いラぺ、超幅広でウェストと裾を絞ったパンツが特徴です。大体、つばの広い帽子がセットされます。マンガから飛び出したようなデフォルメされたスーツです。発祥は、1920年代のNYハーレムと言われます。ズートという言葉は、ジャズ演奏の際、観客が入れる合いの手を意味し、ジャズマンが着用し始めた奇抜なスーツも、ズート・スーツと呼ばれるようになったようです。流行したのは1940年代で、ミュージシャンやギャング、特に黒人やチカーノが好んで着用したと言われます。とてもお上品とは言えない服で、チンピラたちがイキがって着るような服でした。ズート・スーツは、アメリカの歴史の中で、ただ一度だけ法律で禁止された服としても知られます。

1942年、戦時生産局は、無駄に多くの服地を使うズート・スーツを贅沢品として禁止しています。他にも生地を多く使う服はありそうなものです。恐らく黒人の遊び人たちへの嫌がらせだったのでしょう。また、1943年、LAで、チカーノと海軍基地の海兵たちのいざこざが、襲い襲われの大喧嘩へとエスカレートします。チカーノが好んで着用していたことから、海兵はズート・スーツを着ていれば誰でも襲うようになります。この騒動の間、警察は、海兵には構わず、チカーノだけを逮捕します。この差別的対応がチカーノの暴動を誘引しました。この暴動は、ズート・スーツ暴動と呼ばれ、LA当局はズート・スーツの着用を禁止します。

黒人やチカーノの間で、ズート・スーツが流行した背景には、都市部への流入が続いた有色人種が、大きなコミュニティを形成し、独自の社会や文化を形成し始めたということがあります。ズート・スーツは、激しい人種差別と貧困への憤りの現れであり、明日が見えない若者たちの鬱憤の現れであり、そして芽生え始めた白人に対する対抗意識の現れでもあったのでしょう。ちなみに、LAの若い日系人の間でも、ズート・スーツは流行したそうです。ズート・スーツは、アメリカ黒人による差別との戦いの歴史のなかに位置付けるべきアイテムだと言えます。

不思議だな、と思うのは、日本のツッパリが好んで着用した長ランと呼ばれる学生服や特攻服なども、皆、ジャケットの丈が長いのが特徴です。ズート・スーツにも通じます。常識的で伝統的なジャケットをデフォルメして着るということは、社会や既存の価値観への反抗を意味しています。その際、派手な色使いという手もありますが、丈を長くする方法は、比較的容易なアプローチだと言えます。世界には、ズート・スーツや長ランの仲間が、もっとありそうな気がします。(写真出典:essential-records.cm)

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