監督:ボリス・ロジキン 2019年フランス
☆☆☆
2014年、中央アフリカで殺害されたフランスの報道写真家カミーユ・ルパージュを描いた映画です。カミーユは、中央アフリカの惨状を、世界に伝えたことで知られます。ドラマというよりはセミ・ドキュメンタリーに近く、カミーユの存在を伝えるために作った映画と言えます。カミーユが残した多くの写真が使われ、それを現地ロケで忠実に映像化しています。カミーユの足取り、銃撃時の状況等については、証言も多く、すべて正確に把握されていますが、殺害者については不明のままです。殺害された時、カミーユは、まだ26歳。キャリアは短いものの、彼女の写真は、多くの雑誌に掲載され、注目される若手写真家でした。中央アフリカは、人口450万人の小国であることもあり、その惨状が日本で報道されることは、ほぼありません。1960年にフランスから独立しますが、クーデターが相次ぎ、政情が安定することはありませんでした。2012年、政権を奪取したイスラム系のセレカと、これに対抗するキリスト教系のアンチ・バラカという二大勢力による内戦が勃発します。その後、停戦、民政化も行われますが、いまだ内戦状態が続いています。人口の10%が犠牲となり、25%が国内外で難民状態にあります。中央アフリカは、世界で最も貧しい国とされています。
戦場写真家は、戦場から戦場へと渡り歩きます。報道写真家は、ニュースのある場所からニュースのある場所へと渡り歩きます。カミーユは、違いました。キャリア初期には、南スーダンで活動しますが、そこで中央アフリカの状況を知って以降は、なかば中央アフリカに定住して撮影し続けました。実際、中央アフリカのニュース・バリューが落ちた時、新聞社からウクライナ行きを打診され、断っています。プロの世界では、あり得ない判断だと思います。そういう意味では、職業的な報道写真家とは言えなかったようにも思います。むしろ、人道アクティビストと呼ぶべきなのかも知れません。
中央アフリカで、親しい現地の友人が殺され、ショックを受けたカミーユは、故郷アンジェへ戻ります。家族に癒され、友人と夜遊びします。しかし、もはやそこは自分のいる場所ではないという思いが募り、前述のとおり、新聞社からのウクライナ取材のオファーも断り、中央アフリカへ戻ります。自らが成すべき使命がそこにある。あるいは、自分の存在を証明できるのはそこだ、という強い思いなのでしょう。戦場写真家たちも、どれだけ痛い目にあっても、何故か、必ず戦場に舞い戻ります。仕事だからではなく、より強い刺激を求めるからでもなく、使命感と一体化した自分の存在証明がそこにあるからなのでしょう。
高校の先輩に、ピュリッツアー賞受賞の戦場カメラマン沢田教一がいます。UPI社のカメラマンとして、1965年からヴェトナム戦争を取材し、70年、プノンペン郊外で銃撃され、亡くなりました。ピュリッツアー賞を受賞した「安全への逃避」は、銃火のなか川を渡る母子の緊迫した表情が、戦争の悲惨を雄弁に伝えます。この写真は、全米で大きな反響を呼び、ヴェトナム戦争反対運動が本格化したとも、戦争終結を2年早めたとも言われます。一枚の写真が、世界を変えることもあります。ただし、多くの場合、その背景には、写真家の命を懸けた取材があることを忘れてはならない、ということなのでしょう。(写真出典:imdb.com)