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松王丸 |
名セリフ「せまじきものは宮仕え」は、寺子屋の段における武部源蔵のセリフ。浄瑠璃は、当時の大阪方言で演じられます。「せまじき」は「すまじき」であり、宮仕え、つまり組織の一員として働くもんじゃない、といった意味になります。菅丞相(菅原道真)は、藤原時平に謀られて失脚します。菅丞相の一番弟子ながら訳あって勘当され、今は寺子屋を開く武部源蔵は、菅丞相の七つになる息子菅秀才を匿います。それを知った時平は、菅秀才の首を差し出せと迫ります。首実検は松王丸に任されます。松王丸は、菅丞相の領民の三つ子の次男。菅丞相に恩あるものの、今は時平の家臣。
武部源蔵は、その日、寺入り(入門)したばかりの小太郎を、菅秀才の身代わりに殺め、首を差し出します。首を検めた松王丸は、菅秀才に間違いなしと言い切ります。時平の手勢が引き上げた後、松王丸夫妻が白装束で寺子屋に現れます。実は、小太郎は、松王丸の実子、身代わりになることを言い含めて、寺入りさせたのでした。小太郎が、にっこり笑って首を差し出したと聞いた松王丸は、「出かしおりました。利口な奴、健気な奴」と泣き崩れます。「せまじきものは宮仕え」は、教え子を身代わりにせざるを得ない状況に、源蔵が言うセリフですが、菅原伝授手習鑑を貫く主題かも知れません。
これを封建制批判と理解する人たちがいるようです。あるいは滅私奉公を旨に高度成長を支えた会社員象に重ねる人たちもいます。残念ながら、それらは、あまりにも表面的な見方だと言わざるを得ません。もちろん、人は、菅原伝授手習鑑の理不尽な状況や親子の深い情に涙します。しかし、その背景にあるものは、組織と個人、公と私、という普遍的なテーマだと思います。連帯を求めて生きる人間にとっての宿命的な課題です。人間のアイデンティティに関わる根源的な問題です。だからこそ、菅原伝授手習鑑は、時代を超えて、人々に受け入れられてきたのだと思います。
話はフィクションですが、武部左衛門尉治定、後の源蔵は実在の人です。菅原道真の所領園部の代官であり、道真が大宰府へ流されるおり、幼い弟とも庶子とも言われる慶能の養育を託されたと言われます。源蔵は、慶能を慰めるために道真の木像を彫ります。道真の客死後、木像は霊廟に祀られ、後に神社のご神体となります。ご神体が道真存命中に彫られたことから、生身(いきみ)天満宮と呼ばれ、日本最古の天満宮として、園部に現存しています。境内には、武部源蔵の墓もあります。神社は、今に至るまで、代々、武部家が宮司を務めているようです。(写真出典:bunka.go.jp)