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Fish & Chips |
英国の食文化が貧しい理由は、気候に恵まれず、作物が限られていたことが主な理由なのでしょう。ただ、他にも、巷間言われている理由があります。英国紳士は、体面を重んじるが、生活は質素を旨とすること、あるいはライバルであるフランスの華美な文化への嫌悪感、といった説があります。しかし、これらも、気候に恵まれない英国での厳しい生活が背景にあると思います。英国は、いまだに階級社会が存続していると言われます。上流階級ですら質素なのですから、庶民は、もっと貧しい食生活を送っていたわけです。総じて言えば、英国は辺境の地であり、厳しい気候のなかで生き延びてきた、その歴史が、すべての基本にあるのだと思います。
そんな英国が、世界の覇者への道を歩み始めたのは、17世紀だったと思われます。17世の清教徒革命、名誉革命は、宗教を巡る争いでもありますが、ブルジョアジー階級が王権を抑え込んだ市民革命でもあったわけです。英国は、スペイン・ポルトガルに遅れて大航海時代に入りますが、インド・東南アジア、北米・カリブ海、後にアフリカへとの植民地を拡大します。商業資本が蓄積され、そこへ18世紀の産業革命が起こったことで、英国は沸騰します。押しも押されぬ大英帝国の誕生ということになります。膨大な富は支配階級に集中します。一方、17世紀、農民の二分化によって都市へ流入を始めていた労働力は、速度を増して増加し、工場や炭鉱の貧しい労働者階級を形成します。
英国の支配階級の中核を成したジェントリー層は、宮廷人ではなく、カントリー・サイドの人々であり、厳しい農村の生活で培った質実剛健の気風を持っていたのでしょう。そして、田舎の邸宅と生活を維持してきました。一方、農村というルーツを失った労働者階級は、その日暮らしに入っていきます。厳しい気候に加え、歴史的に見ても、英国の食文化が貧しいものになった理由が理解できます。ある人が言うには、英国で美味いのは牛肉と紅茶だけと言っていました。牛肉ばかり食べてきたわけですから、美味しいのでしょうが、豊かな食文化とは言えません。紅茶は、大航海時代の遺産です。紅茶文化が浸透したのは、豊かになった英国の象徴でもあり、それまで喫茶という文化が無かったことの証明でもあります。
多くの文化は、宮廷から生まれています。ただ、英国では、永らく辺境の宮廷であったこと、そして帝国主義時代を迎えた時には、既に立憲君主国であったことから、宮廷文化が大輪の花を咲かすことはなかったのではないかと思います。2002年にBBCが視聴者の投票で選んだ「100名の最も偉大な英国人」のなかで、産業革命以前の芸術家は、第5位のシェークスピア、および第81位のチョーサーだけです。しかも言葉を操る芸術家だけが選ばれているわけです。英国が、世界史のセンター・コートにデビューしたのは、結構、遅かったと言えるのでしょう。ちなみに、第1位に選ばれたのは、上流階級出身のウィンストン・チャーチルでした。(写真出典:gq-magazine.co.uk)