アメリカ人が国内旅行をした際の土産の定番と言えば、マグ・カップ、スプーン、指ぬき、Tシャツ、ベースボール・キャップといったところでしょうか。どれも、街や観光地の名称が入っているだけで、品物自体に大きな違いはありません。歴史の浅い国であり、各地の独自の文化といっても知れたものですから、結果、そうなるのでしょう。我が家にも、アメリカ5年間滞在の産物として、各地のマグ・カップが山ほどあります。収集していたわけではなく、他に買うものがないので、結果、増えました。日本人は、英語のスーベニアをお土産という意味で捉えがちですが、その語源はフランス語の「記憶」や「思い出」です。旅の土産も含まれますが、あくまでも自分用の記念品です。対して、日本の旅のお土産は、ご近所や知人に配るものという独自の文化が加わります。
日本のお土産文化は、神社へ参拝した際に、宮笥(みやけ)、つまり板に神札を張ったものを授かり、持ち帰ったことから始まると言われます。その土地の産物を表す言葉だった土産(どさん)を、”みやげ”と読み始めたのは室町の頃だそうです。このころから、神社のお札等の他に、その土地の産物を持ち帰ることも一般化したということなのでしょうか。それを知人等に配るという文化が一般化したのは、少なくとも江戸期以降のことだと思います。それまでは、庶民が旅をすること自体が稀だったわけですから。参勤交代由来説もありますが、限られた世界の話であり、違うように思います。恐らく、お伊勢参りが、土産文化を広げ、定着させたものと考えます。
一生に一度は、と言われたお伊勢参りは、長旅でもあり、結構な旅行資金が必要でした。例えば、江戸からなら、往復1か月かかり、その費用は、今の貨幣価値で30万円ほどと言われます。右から左という金額でもありません。そこで、伊勢講が組まれ、皆で貯めたお金を資金に、くじ引きで決まった代表がお参りしました。また、近所の人や知り合いから援助してもらう、あるいは借金して出かけた人もいることでしょう。いずれにしても、感謝の気持ちに加え、確かにお伊勢参りをしてきたという証拠としても、土産が広まったものと思われます。
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赤福本店 |
駄菓子を製造する零細企業を親から引き継いだ若社長は、洋菓子の開発に取り組みます。社長は、雨の日も、雪の日も、毎日のように空港へ通っては、客室乗務員に製品を配って歩いたと言います。そのうち、美味しいと評判になり、ついに機内で出されるお菓子に採用されます。それからほどなくして、土産物の売上では、赤福に次ぐ全国第二位にまで上り詰めます。石屋製菓の「白い恋人」縁起です。最近は、お取り寄せで、各地の名産品や土産品がネットで購入できます。かつては、その土地でしか買えないことに価値があったように思います。白い恋人も、北海道でしか買えないという戦略を取り、成功していました。(写真出典:toba.br.jp)