高校1年生の夏、蓄膿症の手術のために、2週間ばかり入院しました。体は健康なので、もう暇でしょうがない。次から次へと文庫本やマンガ本を読みますが、マンガ本などは、あっと言う間に読み終わります。病室には、10ばかりのベッドが並び、すべて埋まっていました。一番若い私が退屈しているのを見て、お兄さんたちがマンガ本を貸してくれました。いわゆる「貸本」でした。既に貸本屋は廃れつつあり、家の近くになかったこと、大人向けという印象もあり、それまで利用したことはありませんでした。
貸本屋の歴史は古く、江戸初期までさかのぼります。寺子屋の普及で、読み・書き・そろばんのできる庶民が増え、読書も一般化していきます。紙の生産量も増え、印刷技術も向上したことから書籍の供給も増えたようです。ただ、庶民が気軽に買える値段ではなかったようで、江戸初期には貸本屋が登場しています。後には行商スタイルの貸本業も始まったようです。以降、明治から大正、昭和中期に至るまで、永らく庶民の読書文化を支えたのは、貸本屋だったのでしょう。後のレコード・レンタル、ビデオ・レンタルの先祖とも言えます。
戦後、青年層を対象とする貸本専用の書下ろしマンガが登場し、貸本の世界はマンガが主力になっていきます。昔、マンガ雑誌と言えば、子供向けがほとんどだったのに対し、青年向けは、この書下ろしの貸本が主力であり、劇画と呼ばれるようになります。60年代後期には、いわゆる劇画ブームが到来し、劇画雑誌も続々発刊されます。貸本の書下ろしを描いていた漫画家たちが活躍する時代になりました。劇画雑誌で、印象に残るのは「ビッグコミック」、「ガロ」、「COM」の三誌です。それぞれ、さいとう・たかお「ゴルゴ13」、白戸三平「カムイ外伝」、手塚治虫「火の鳥」と、歴史に残る傑作が連載されていました。
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「ねじ式」 |
少年少女向けだったマンガ雑誌も、ターゲット層の拡大をはかり、「明日のジョー」や「巨人の星」といった時代を反映した傑作も登場します。近頃の若者は、マンガばかり読んで、本を読まなくなった、と批判されたものです。かつて若者は、青春文学から多くを学んだのでしょうが、我々の世代は、マンガから多くを学んできたとも言えます。廃れた貸本屋は、一般書店へと業態を変えた店が多かったようです。文学は売れなくても、マンガ雑誌がよく売れ、書店はいい時代だったと思います。(写真出典:prtimes.jp)