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狩野山雪「寒山拾得図」 |
森鴎外が下敷きにしたのは、白隠禅師の「寒山詩闡提記聞」だったようです。唐の役人が、頭痛に悩んでいると、旅の僧侶が訪れ、まじないで治す。僧の名を聞けば「台州は天台山国清寺の豊干」と答えます。役人は、台州の知事に赴任予定だったので、台州で会うべき偉人を聞くと、豊干は、寒山と拾得の名を挙げ、文殊菩薩と普賢菩薩の化身であると言って去ります。台州に赴任した役人は、山中奥深くに国清寺を訪ねます。見すぼらしい姿の寒山拾得に会った役人は、正式な挨拶の礼を取ります。それを見た寒山拾得は大笑いしながら、逃げていきます。役人は、寒山が逃げながら「豊干がしゃべったな」とつぶやく声を聞きます。
天台山国清寺は、浙江省にある天台宗の本山です。伝教大師最澄もここに学んでいます。寒山は、寒さ厳しい岩窟に住んでいたので寒山と呼ばれ、拾得は、豊干に拾われ、国清寺で働いていました。二人は奇行が多く、皆、呆れていたようですが、豊干の教育を受けて仏教哲学には滅法強かったとされます。それはそうだと思います。残された詩編は、ただのフーテン奇人では、とても書けるものではありません。宋代になると、禅僧を中心に評価が高まり、人気の画題となります。また、江蘇省にある臨済宗の名刹寒山寺は、寒山が庵を組んでいたことにちなんで命名されたと伝わります。
さて、寒山拾得の人気が高まったのは何故か、ということですが、恐らくその存在が禅の極意、あるいは仏教の本質に通じるものがあったからだと思います。世俗を離れ、雑事を笑い飛ばす姿は、歩く禅問答のように思えます。寒山拾得の笑いとは何ぞ、という公案がありそうな気がします。とかく仏教経典は、哲学的で、難しいものばかり。また修行僧も、深刻な趣の者ばかり。寒山拾得の笑いは、大衆に空の概念を伝える力をもっているように思えます。そういう意味では、伝教の一つの理想なのかも知れません。
昔、聞いた話があります。ある時、中国のお寺に、禅宗の高僧が来ると言うので、近郷近在から多くの人たちが集まります。高僧はなかなか現れず、皆がしびれを切らします。そこへおっとり現れた高僧は、檀上に座ると、けたたましい音とともに放屁し、大笑いして、そのまま去っていったといいます。集まった人たちは、さすがに高僧と言われる人は違うものだと感心し、合掌したそうです。禅宗らしいいい加減な話だとは思いますが、空と屁という取り合わせは、なかなか相性の良いところがあります。(写真出典:bunka.nil.ac.jp)