カラカラは、アントニヌス勅令によって、全属州民にローマ市民権を与えました。古代ローマの紋章に刻まれる「SPQR(Senatus Populusque Romanus)」は、”ローマの元老院と市民”という意味ですが、それが国家としてのローマを表していました。帝国内にあって、ローマ市民は、支配層として位置づけられ、選挙権・被選挙権、所有権、税制上の優遇等が与えられました。当初、兵役は市民の義務でしたが、マリウスの軍制改革で志願制となり、ここからローマ市民の特権階級化が始まったとされます。いずれにしても、被支配地域である属州民とは大きな格差がありました。
そもそも属州民は、補助兵として志願し、満期除隊すれば市民権を得ることができました。属州民が、こぞって志願したことから、強大なローマ軍が成立したと言われます。ただ、待遇の悪さから志願者が減り、軍の維持に支障をきたすまでになります。アントニヌス勅令は、その改善もねらいのひとつだったはずです。ただ、志願する最大の理由であった市民権獲得が無意味になったことで、結果、志願者の減少に歯止めはかかりませんでした。
勅令最大のねらいは、税収の増加だったとされます。属州民税は失いますが、同時に税率引き上げを行った相続税と奴隷解放税の増収を狙っていたようです。しかし、属州民に無条件で市民権を与えたことで、もともとのローマ市民はもとより、種々の努力をして市民権を得た属州民のモチベーションも下がります。属州民にとってもローマ市民権の価値が下がったため、社会も経済も停滞し、結果、税収も減少したといいます。
結局、見た目は、進歩的に見えるアントニヌス勅令ですが、社会を混乱させただけだったと言えます。例えて言えば、居間を少し広くしたかっただけなのに、大黒柱を切ってしまったようなものです。獲得権の既得権化が壊したものは、社会のヒエラルキーのみならず、競争原理と、それに基づく社会の流動性だったのでしょう。流動性こそ、社会の活力だと思います。若い人たちが、将来に何ら希望を持っていないと言われる昨今の日本ですが、長い目で見れば、社会の流動性を失っていくのではないか、と心配になります。ローマ的”終わりの始まり”でなければいいのですが。(写真出典:ja.wikipedia.org)