2021年1月5日火曜日

三代の傾城

 三代とは、夏・殷・周と続く中国の古代王朝です。かつて、夏・殷については、「史記」等に記載はあるものの、伝説上の王朝とされていました。ところが、1928年から本格的に発掘された殷墟、加えて1959年に発見された二里頭遺跡から、その実在が確認されました。夏の開祖である禹は、黄河の大洪水後の治水に功績があり、紀元前20世紀頃、帝位に着いたとされますが、その大洪水の痕跡も科学的に確認されているようです。殷(商)の湯王が、夏を滅ぼし、王朝を建てたのが紀元前17世紀。周(西周)の武王が、牧野の戦いにおいて、殷を滅ぼしたのが、紀元前11世紀でした。紀元前8世紀には、その西周も滅亡し、東周の時代、つまり春秋戦国時代が始まります。

葛飾北斎「殷の妲己」
三代の各王朝最後の王は、夏の桀、殷の紂王、西周の幽王となりますが、いずれも悪政をもって知られ、そのために国を滅ぼされています。そして興味深いことに、この三王の悪政の影に、それぞれ末喜、妲己、褒姒という、絶世の美女にして、名だたる悪女が存在します。夏の桀は、徳がなく、武力に訴える高圧的な王だったとされます。桀は、妃だった末喜(ばっき)を喜ばすために、巨大な宮殿を建て、その落成を祝う大宴会を催します。また末喜が、絹を裂く音を好み、よく笑ったことから、国中の絹を集め、裂いたとも言われます。ただ、末喜に関する記録は少なく、後世、妲己や褒姒のエピソードが改変され、付け加えられたとも言われます。

暴君として名高い殷の紂王が愛した妲己(だっき)は、美しいだけでなく、弁舌に優れ、かつ淫乱だったとされます。「酒池肉林」という言葉を残した通夜の宴会は、池を酒で満たし、木々に肉を下げ、男女を裸にして追わせたとされます。また、油を塗った銅製の棒を火の上に掛け、罪人を渡らせる「炮烙の刑」を喜んだと言われ、それを諫めた王の叔父を「聖人の心臓には七竅(人の顔にある7つの穴)があるというが見てみたい」と殺し、心臓を取り出したという話も伝わります。「封神演義」では、紂王を滅ぼすために遣わされた九尾の狐の化身とされています。

褒姒(ほうじ)は、西周の幽王の二番目の后。一切笑うことが無かったとされます。ある日、王が、必要もないのに、召集の狼煙をあげ、集まった諸将が右往左往する様を見た褒姒が笑ったことから、王は何度も同じことを行います。褒姒を后にするために廃された前の后の実家が、反乱を起こし、王宮に迫った際、王は狼煙をあげますが、もはや将兵は誰一人駆け付けませんでした。幽王と褒姒は捉えられて殺され、西周は滅びます。末喜、妲己、褒姒は、まさに傾国であり傾城だったわけですが、自ら進んで悪さをしていたのは、妲己だけのようにも思います

事実か否かは別として、三代が同じく、傾国傾城によって滅びたと伝えられていることは興味深いところです。稲作の基本構造である家父長制の皮肉な弱点を戒めているようにも思えます。事の原因が傾城であろうとなかろうと、王が、民を忘れ、政を疎んじ、律を破れば、必ずや国は亡びるという教訓かも知れません。永く続く家には、なぜか必ず不届き者が現れるものです。その際、必要なのは、命を懸けて諫めてくれる臣下ですが、残念ながら、その労が報われるとは限りません。(写真出典:ja.wikipedia.org)

マクア渓谷