2021年1月3日日曜日

冬はつとめて

春はあけぼの、夏は夜、秋は夕暮れ、そして冬はつとめて。清少納言が、”いとをかしきこと”と述べている季節の魅力です。冬の”つとめて”は、早朝のことです。「枕草子」一段には、寒い朝には、火をおこし、炭を持って廊下を移動するのもふさわしい、と書かれています。キリっと冷えた空気に清々しさを感じるとともに、火のぬくもりのありがたさ、それを準備する様も風情があると言っているのでしょう。「をかし」という日本的美感を代表する枕草子らしい文章と言えます。

私は、北国の生まれ育ちですが、寒さに関して言えば、やはり、しんどいと思いますし、苦手です。とは言え、毎年、初雪にはなぜかワクワクしましたし、雪が積もると底冷えとは異なる和らぎを感じました。朝の冷たい空気に清々しさも感じ、夜、家々に灯る明かりに温もりも感じました。枕草子も、寒さそのものを述べているのではなく、寒い朝の風情を語っています。「をかし」は、自然や事物そのものではなく、それを趣があると感じたかどうかという、極めて主観的な心の動きです。

源氏物語の「あわれ」と枕草子の「をかし」は、よく対比的に語られます。「あわれ」は、情趣的、哀感的とされ、「をかし」は、感覚的、趣向的と言われます。まさに小説には「あわれ」、随筆には「をかし」がふさわしいわけです。「あわれ」の優雅、「をかし」の優美とも言われます。いずれも、繊細な感受性に基づく洗練された上品さを備え、平安期の宮中で育まれた日本独自の美意識や美感だと言えます。

5世紀から9世紀にかけて、倭の五王の宋への入貢、遣隋使、遣唐使と、断続的に続いた中国との交流は、多くの文化をもたらしました。唐の滅亡とともに、遣唐使は終りますが、国内的には、日本独自の文化が成熟しつつあり、遣唐使の意義が薄れていたという事情もあります。663年の白村江の戦いで、日本・百済軍は、唐・新羅軍に大敗します。以降、対外リスクに対応するため、律令制、防衛体制等、急速に国家体制が整備されていきます。国号も「日本」と改称されました。同時に、仮名の誕生等、中国文化の日本化も進み、平安期には成熟を見ていたのでしょう。

「をかし」を古語辞典でみれば、滑稽、興味深い、趣がある、美しい、すばらしい、と出てきます。日本の美感の多くの要素がこの一言に凝縮されています。しかし、その後、「をかし」は、滑稽という意味になっていきました。もともと、滑稽という意味もあったようですが、それにしても、日本的美感の一つとも言える言葉が、なぜ失われていったのか、興味深いところです。おそらく、その後の武家文化のなかで、無常観を背景とする「あわれ」が武士に支持され、あまりにも貴族的だった「をかし」が影を潜めていったということなのでしょう。(写真出典:kyoto-brand.com)

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