2021年1月14日木曜日

悲しい詩

前から気になっていたドイツのドキュメンタリー作家マイク・シーゲルの「情熱と美学」を見ました。サム・ペキンパーの生涯に関するドキュメンタリーです。懐かしさから見たのですが、ブルーな気分になってしまいました。センチでノスタルジックな仕立ては、ペキンパーを語るうえで最適だと思います。暴力描写を変えたと言われるサム・ペキンパーは、熱烈なファンも多く、影響を受けた映画人も多くいます。ただ、評価はバラつき、忘れられた存在になりつつあるように思います。

「ワイルド・バンチ(1969)」のスローモーションに度肝を抜かれ、「わらの犬」(1971)では真の恐怖を味わされました。大ヒットした「ゲッタウェイ」や「コンボイ」もいいのですが、ややペキンパーらしさに欠けるように思います。私が一番好きなペキンパー映画はセンチな「ガルシアの首」(1974)です。一本気な職人気質とも言えるペキンパーは、ハリウッドのプロダクション・システムと戦い続けた人でした。そのペキンパーが、編集権まで持った数少ない映画が「ガルシアの首」です。ペキンパー組の俳優たちも好きですが、なかでもウォーレン・オーツは大のお気に入り。ウォーレン・オーツは「ガルシアの首」に主演するために生まれた、と言いたくなるほどのハマリ役でした。

暴力描写で有名なペキンパーは、暴力を「悲しい詩」だと言っています。ペキンパー映画の本質は、決して暴力ではありません。時代や世間と反りが合わない”本物の男たち”へのバラードです。ですからペキンパー映画は、結構、ウェットな代物になります。ウェットさが暴力を意味あるものにし、暴力がウェットさを印象深いものにしています。ペキンパーが「砂漠の流れ者/ケーブル・ホーグのバラード」(1970)を自身の代表作と位置付けていることは象徴的です。消えゆくフロンティアに捧げた映画は、猛々しい強面ではなく、素朴で誠実な男が主人公でした。ペキンパーの祖父は開拓者であり、製材業を営む山の男でした。山の生活やそこで生きる人々への郷愁こそ、ペキンパー映画の本質かも知れません。

映画監督やオーケストラの指揮者という仕事は、並みの精神力では務まらないほど厳しい仕事だと思います。ペキンパーの場合、それに加えて、製作会社との絶え間ない戦いもありました。天才肌で、こだわりが強く、現場では横暴極まりないとしても、それはペキンパーの繊細さゆえかもしれません。精神を削るような仕事に、ペキンパーの酒量は増す一方で、片時も放せなくなっていたようです。加えて、彼を理解し、ついてきてくれた友人、俳優、スタッフが、次々と亡くなっていくと、アルコールに加え、麻薬にも深入りします。心はさみしい独裁者は、ハリウッドから干されていきました。あたかもフロンティアが消えていったように。

アメリカでペキンパーの評価が低いことは、よく知られています。恐らく理由は、暴力描写とハリウッドへの反抗なのでしょう。ペキンパーは、映画における暴力描写を別次元へと高めました。今や、ペキンパーも眉をひそめかねないほどの暴力にあふれる映画界ですが、当時のアメリカでは、随分と物議を醸したようです。アメリカ人は、自分たちの恥部を突き付けられて、激しく嫌悪したのでしょう。今一つのプロダクション・システムへの反抗は、当時の映画界にあっては自殺行為だったと思われます。ハリウッドと一線を画すオーソン・ウェルズ等がペキンパーを絶賛しても、ハリウッドで収入を得ている多くの映画人は、忖度せざるを得なかったのでしょう。(写真出典:ciatr.jp)

マクア渓谷