2021年1月13日水曜日

冬来たりなば

P・B・シェリー
大寒は、二十四節気で最も寒い日、あるいは最も寒い時期を表します。おおよそ1月20日頃とされます。直前の節気は小寒、後に続くのは立春となります。寒さが一番厳しくなるものの、春も近いというわけです。思い起こすのは、英国のロマン派詩人シェリーの「冬来たりなば春遠からじ」でしょう。原文は「If Winter comes, can Spring be far behind?」です。直訳すれば、「冬になれば、春が遥か後方ということはあり得るだろうか?」という感じでしょうか。「冬きたりなば」では、名訳に過ぎて、詩というよりも格言っぽく聞こえます。実際のところ、ネットではシェリーの格言と言い切っているものまであります。

日本で「冬来たりなば」が広く知られている理由は、シェリーの詩からタイトルをとったA.S.M.ハッチンソンの小説「冬来たりなば」が、1922年に映画化され、日本でもヒットしたからだそうです。独善的な男の親切心が災いを招き二転三転するが、最後には男にも救いがもたらされるといった話のようです。シェリーの詩ではなく、言葉だけが独り歩きし、ついには格言のようになったわけです。この言葉を末尾におくシェリーの「西風の賦」は、冬の荒々しいパワーに対する畏敬の念を謳っています。

シェリーは、裕福な貴族の家に生まれ、イートン校、オックスフォードと進みますが、無神論を唱え、放校処分となります。その後、カトリックの解放を訴え、放浪の旅を続けます。アナキストのゴドウィンの家に身を寄せたシェリーは、ゴドウィンの娘メアリーと激しい恋におちます。メアリーと妻と3人で暮らすことを提案しますが、受け入れらるわけもなく、メアリーと大陸へ駆け落ちします。婚外子を孕んだ妻が自殺し、シェリーとメアリーは結婚しています。その後、メアリーは小説「フランケンシュタイン」を発表します。その着想は、欧州へ駆け落ちした際、レマン湖畔にあるバイロン卿の別荘で得たとされます。シェリーは、ジェノヴァ沖を特注ヨットで航海中、突然の暴風雨に見舞われ、遭難、死亡しています。西風のように激しい人生だったと言えます。

今年の冬は、例年並みの寒さだと聞きます。ただ、ここ数年、暖冬が続いたためか、とても寒いと感じます。例年並みとは言え、数年に一度クラスという寒波にも見舞われました。日本海側では、例年の数倍という大雪が降り、車が多数立ち往生する事態が頻発しました。ちなみに、TVのニュースは、長い車列と疲労したドライバーを映し出します。とても興味があるのは、渋滞の先頭はどうなっているのかという点ですが、決して映し出されることはありません。いずれにしても、記録的寒波であり大雪ですが、この冬は、これで終わりという保証はありません。

さて、すっかり格言化した「冬来たりなば」ですが、「降りやまぬ雨はない」や「明けない夜なない」、あるいは「日はまた昇る」と同様の意味で語られています。雨の例えは、大井川の川越人夫たちの口癖と聞いたことがあります。雨で水嵩が増して川留めになると川越人夫は手間賃が稼げません。長引けば死活問題です。ところが、川越人夫は幕府お抱えの公務員であり、川留めになっても、収入は途絶えることがありません。雨の例えは、のんびりした話だったわけです。コロナ禍に際し、降りやまぬ雨はないと言っている人たちがいます。その通りかも知れませんが、3年も続けば、とてものんびりとした言い方はできないと思います。(写真出典:poetry.hix05.com)

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