2021年1月12日火曜日

「アルジェの戦い」

ジッロ・ポンテコルヴォ監督    1966年イタリア・ アルジェリア

☆☆☆☆+

1966年、ヴェネチアで金獅子賞を獲得した名作「アルジェの戦い」をデジタル・リマスター版で見ました。記録映画を思わせる白黒映像、素人俳優、テンポの良い演出。ジッロ・ポンテコルヴォ監督は、ロベルト・ロッセリーニ作品を見て映画の世界に入ったと言うだけあって、見事にネオ・リアリスモの血を受け継いでいます。独立直後から、戦いの興奮冷めやらぬアルジェのカスバでオール・ロケを敢行、カスバの住民たちもエキストラとして参加しています。その臨場感は、限りなくドキュメンタリーに近く、映画史上、極めて稀な製作過程だと言えます。ある意味、すべての映画監督が夢に見る製作環境だとも言えます。

アルジェリアは、カルタゴ時代からの古い歴史を持ちますが、19世紀、フランスの侵略を受け、植民地化されます。フランス人が入植し、第二次大戦のおりには、反ヴィシー政権のフランス共和国臨時政府もここで設立されています。1954年には、アルジェリア民族解放戦線(FLN)が結成され、独立に向けた戦いが本格化します。アルジェのFLNは、迷路のような旧市街カスバを拠点にテロを激化させます。同じ年、フランスは、ディエンビエンフーの戦いでヴェトミンに敗れ、インドシナを失っています。それだけに、負けられないフランスは、累計50万人に及ぶ大軍を、アルジェリアに投入します。

アルジェリア戦争は、複雑な戦争でした。フランスが、他の植民地の独立を認める一方、アルジェリアに大軍を送り込んだ理由は、コロンと呼ばれるフランス系を中心としたヨーロッパ人の存在です。100万人に及ぶコロンは、アルジェリアを政治的にも経済的にも支配していました。コロンの武装部隊は、フランス等で政治家へのテロを実行し、独立容認に傾いたド・ゴール大統領暗殺まで計画します。さらに、アルジェリア駐留軍とコロン武装部隊は、対立する本国軍と戦闘直前までいきます。独立を目指すアルジェリア人、それを弾圧から容認に変化したフランス、独立断固反対のコロンと駐留軍、という三つ巴の戦争だったわけです。

映画は、カスバにおけるFLNの組成から、フランス空挺部隊によって壊滅させられるまでを描き、2年後に本格化した民衆蜂起、そして独立をエンディングとしています。作中、主人公のアリに、FLN幹部が「革命を起こすことは難しい。もっと難しいのはそれを継続することだ。勝利することはさらに難しい。でも本当に大変なのは勝利してからだ」と語ります。名言ですね。ちなみに、独立後、コロンたちは、フランスに戻りますが、二級市民として長らく差別されたと言います。

カスバは、もともとアラブ語で城塞という意味ですが、丘の斜面に城塞を囲むように形成された旧市街を指します。マグレブ諸国特有の言葉で、市街地を指すメディナとは区分されます。昔、タンジールのカスバを訪れ、ほど近いホテルに泊まったことがあります。バルコニーから港と地中海が見渡せる見事な眺望でした。日本では、「カスバの女」に代表されるようにスラム街、暗黒街のイメージですが、決してそんなことはありません。怪しげで危ない街というカスバのイメージを決定づけたのはジュリアン・デュヴィヴィエ監督の「望郷(ペペ・ル・コモ)」(1937)だと言われます。アルジェリア人を鼠と呼んだコロンの差別意識が反映されていたと言わざるを得ません。(写真出典:amazon.co.jp)

マクア渓谷