かつて「カレンダーふりかけ」という商品がありました。昭和30年代の一時期、永谷園から発売されたものです。ボール紙の台紙に、味の異なる一食サイズのふりかけが、一週間分として7種類貼り付けてありました。谷啓のテレビCMも流されていました。ただ、同世代でも記憶のない人が多く、短命な商品、あるいは地域を限定した商品だったのかも知れません。7種類のなかにカレーふりかけがありました。当時、カレーふりかけという単体商品はなく、このカレンダーふりかけでしか食べられませんでした。私は、このカレーふりかけが食べたくて、いつもカレンダーふりかけをねだっていました。
今年、短期間ですが、入院しました。前年、別の病院に入院した際、食事のまずさに辟易したので、普段食べないふりかけと小さなボトルにいれた白出汁を密かに持参しました。結果的には、食事がまずまずだったので、ふりかけも白出汁も一切使いませんでした。病院食は、塩分を控えめにするから味気がなくなるわけです。ところが、今回の病院は賢いことに味噌汁をあきらめ、その塩分を他の料理に回していたのです。さて、今回、何十年ぶりかにふりかけを購入したわけですが、選択したのは、もちろんカレーふりかけです。退院後、家で食べてみましたが、結構、美味しくいただけました。
ごはんのうえに何かを乗せて食べる文化は、米を主食とする地域では、どこにでもありそうです。ただ、乾燥したふりかけは、日本独自の食文化だと聞きます。古くは、鎌倉時代から、魚肉を塩干し、細かくしたものが存在したようです。近代的なふりかけの元祖は、大正年間、熊本の薬剤師である吉丸末吉が開発した「御飯の友」とされます。カルシウム不足解消のために、魚粉に味付けしたものでした。栄養補助食品として、軍隊に採用され、広まったと言います。現在でも、吉丸末吉から引き継いだフタバ食品が製造販売しています。ふりかけは、いわばサプリメントとして誕生したわけです。類似品も多く発売されたようですが、あくまでも大人の食べ物だったようです。
ふりかけが、子供たちも含めた国民食となったきっかけは、1960年発売、丸美屋の「のりたま」です。画期的な商品として大ヒットし、60年を経た今でも定番ふりかけです。創業者が、旅館の朝食を家庭でも手軽に食べられるようにと開発したそうです。当時、海苔も卵も高級品だったということなのでしょう。画期的とされる理由は、卵を乾燥させる技術だったようです。しかし、大ヒットの要因は、ほんのりとした甘さだったのではないかと思います。戦後の食料難の時代が終わり、高度成長のとば口にあって、甘さも含めた嗜好の広がるタイミングを捉えた商品だったのでしょう。子供たちへの普及に関しては、エイトマン・シールの役割も大きかったと思います。米食離れが進むと、ふりかけの売上は低迷しました。子供たちの朝食が、パン主流になったことが大きく影響したのでしょう。ただ、ターゲットを大人においた高級感ある商品が続々発売されると、勢いを盛り返したようです。原点に立ち返り、サプリメントとして出せば、さらに売れるようにも思います。例えばコラーゲン入りとか、糖質抑制ふりかけとか、結構いけそうな気がします。(初代のりたま 写真出典:youpouch.com)