2020年12月26日土曜日

悪い男

 「罪なき者、石もて打て」は、ヨハネによる福音書に出てくる話だそうです。学者たちが、姦淫の現場で捉えられた女を、イエスのもとに連れてきます。モーゼは律法のなかで、こういう女を石で打ち殺せ、と言っているが、あなたならどうするか、と問います。学者たちは、赦しを説くイエスがモーゼの律法に反するか否か、を試しにきたわけです。イエスは「汝らのなかで罪なき者が、石もて打て」と答えます。学者たちは退散し、イエスは女を赦します。

キリスト教徒の多い韓国ですが、しばしば罪ある者を「全国民、石もて打て」状態になります。李朝が国を治める際に活用した儒教の極端な影響の一つなのでしょう。韓国映画界ではじめて、ヴェネチア・カンヌ・ベルリン三大映画祭全てで受賞した鬼才キム・ギドクが、ラトヴィアで新型コロナのために客死しました。実に惜しい人を亡くしたと思いますが、韓国では、その死を追悼すらできないと聞きました。キム・ギドクは、2017年に女優への暴力で、2018年には女優へのセクハラ問題で敗訴し、韓国映画界から追放状態にありました。彼の映画のタイトルではありませんが「悪い男」に認定されたわけです。

キム・ギドクは、1960年に生まれ、貧しく暴力的な父親に育てられます。無認可の農業学校中退後、様々な工場で働き、海兵隊に入隊、5年間を過ごします。その後、フランスへ美術留学し、そこで映画に目覚めます。帰国後、脚本家として活動を開始し、1996年には初監督作品「鰐」を発表し、注目を浴びます。絵に描いたようなアウトサイダーだったわけですが、韓国社会の底辺で生きる人々を代表していたとも言えます。その後、話題作を次々発表し、海外での評価も高まります。ただ、その作風から大手製作会社からの出資は望めず、常に低予算での映画製作を余儀なくされます。

そのなかでも、2001年の「悪い男」がヒットし、2003年の「春夏秋冬そして春」は韓国の大鐘賞と青龍賞を受賞、米国でも高く評価されます。「サマリア」(2004)でベルリン銀熊賞、「うつせみ」(2004)がヴェネチアで銀獅子賞、ドキュメンタリー「アリラン」(2011)はカンヌである視点部門作品賞、そして「嘆きのピエタ」(2012)でヴェネツィアの金獅子賞を獲得と、まさに世界の映画祭を席捲しました。キム・ギドクの映画は、優れて観念的であり、寓話として表現されます。それが図式的に振れたり、ドラマ的に振れたりします。後者の代表が「悪い男」や「嘆きのピエタ」だと思います。

キム・ギドクが描く、人間の絶望的なまでに深い執着や欲望、底辺に暮らす人々から見た韓国社会のひずみは、彼のコンプレックスの強さを反映しているのでしょう。ひょっとすると、韓国の人たちは、あまりにも直截に韓国と韓国人を描く彼の映画を直視できなかったのではないでしょうか。韓国社会が、不世出の鬼才を追悼できない理由は、彼の暴力やセクハラ事件だけではないのかも知れません。ただ、わずかながら、あるいはかなり変わった形で、救いの兆し、あるいは赦しを入れるのも、キム・ギドクの作風だったようにと思います。(写真出典:cinematody.jp)

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