アルバム名:Four & More (1964) アーティスト名:マイルス・デイビス
私の神様であるマイルス・デイビスには、歴史的名盤が数多くあります。ジョン・コルトレーンはじめ第一期クインテットを率いハードバップを確立した「ラウンド・アバウト・ミッドナイト」(1956)、モード奏法によるモダン・ジャズの夜明けとなった「カインド・オブ・ブルー」(1959)、フュージョンという新たなジャズを切り開いた大ヒット作「ビッチェズ・ブリュー」(1970)等は、単なる名演ではなく、ジャズの歴史を変えた名盤です。しかし、私が最も好きなアルバムは、1964年、リンカーン・センターのフィルハーモニック・ホールでライブ録音された「フォア&モア」です。ゴールデン・クインテットと呼ばれた最強メンバーを従え、マイルスが気持ちよく吹きまくります。既にモダン・ジャズの帝王として君臨していたマイルスは、63年、若い才能をリズム・セクションに招集します。クラシック出身のロン・カーターは26歳、音楽的センスのかたまりハービー・ハンコックは23歳、そして天才中の天才トニー・ウィリアムスは弱冠17歳で招集されています。ハービー・ハンコックの場合、突然、電話がなり、出てみると、しゃがれ声が「明日の1時に俺の家に来い」とだけ言って切ったそうです。名乗りもしなければ、家の住所も言わなかったと言います。もちろん、ハービー・ハンコックは、それが誰からの電話か、すぐ分かります。なにせ帝王ですから。
60年代前半のマイルスは、ライブ・レコーディングが中心でした。「カインド・オブ・ブルー」で、マイルスが確立したモード奏法は、従来のコード進行からアドリブを解き放ちました。この時期、ライブ録音が多いのは、ある意味、当然だと思います。言ってみれば、檻から解き放たれた鳥が、自由に空を飛ぶことを満喫してわけですから。当時、リハーサルは、ほぼ行われなかったようです。まさに才能と才能のインタープレイです。ボクシングに例えるなら、モハメッド・アリが、モハメッド・アリを相手に、蝶のように舞い、蜂のように刺し合う戦いのようなものです。そういう意味では、若く才能豊かなリズム・セクションの存在無しに、マイルスの名演もなかったと言えるのでしょう。特にマイルスとトニー・ウィリアムスという二人の天才による化学反応は絶品であり、モダン・ジャズの醍醐味です。
一カ所に留まることを知らないマイルスは、60年代末から、8ビート、電気楽器を多用する、いわゆるエレクトリック・マイルスの時代に入り、また新たな次元を切り開きます。75年以降、マイルスの来日ライブには、全て行きました。NYにいた5年間は、毎年、リンカーン・センターのライブにも行きました。エレクトリック・マイルスも常に変化していました。ただ、音楽性は大きな変化を見せてきたものの、マイルスのトランペットは、常に変わっていないと思います。むしろ、マイルスは、自分の演奏スタイルをより活かすために音楽性を変えていったのではないか、とさえ思います。
帝王マイルスは、エピソードにも事欠かない人です。私の一番のお気に入りがあります。50年代後半、当時、ハリウッドの人気女優だったキム・ノヴァクが、マイルスの新車に寄りかかり、「マイルス、いい車じゃない」と言ったそうです。マイルスは「俺の車から離れろ。車が汚れる」と言ってのけます。マイルスの自意識の高さを雄弁に語るエピソードです。(写真出典:amazon.co.jp)