2020年10月25日日曜日

TAKE IVY

男性ファッション雑誌 "MEN’S CLUB(メンクラ)" の”街のアイビーリーガース(街アイ)”は、大人気コーナーでした。街角のおしゃれな一般人のスナップ集ですが、そこに掲載されることは、アイビー・ファンの憧れでした。70年代に起きた第二次IVYブームの頃、私も、撮影予告のあった場所へ、精一杯のおしゃれをして出かけたことがあります。残念ながら、掲載されませんでした。それはそうです。当時、普通の学生ができるおしゃれといえば、せいぜいがメンクラ掲載の写真かVANのマネキンのものまねでしかないわけで、掲載には値しません。

IVYリーグ・ファッションは、1950年代後半、アメリカ東部の大学のキャンパスから始まります。IVYリーグは、プリンストン、ハーバード、コロンビア等、東部の歴史ある名門大学8校で構成するフットボール・リーグです。IVYリーグの学生たちは、英国のオックスフォード大のファッションに憧れ、それをアメリカ的に展開しました。スーツからカジュアル・ウェアまで幅広くキャンパス・ライフをカバーします。上質でこざっぱりとした印象が特徴です。ブルックス・ブラザース、J・プレス等、アメリカン・トラディショナルのブランドが中心。後に登場するポロ/ラルフ・ローレンは正当な後継ブランドと言えます。

アメリカの安定と成長の50年代後期は、様々な若者の文化が花開き、ファッションも多様化した時代でした。ロックロール、バイカース、サーファー、ビートニク等、旧体制に否定的な文化が広がる中で、あえてトラディショナルというあたりが東部エスタブリッシュメントの矜持を感じさせます。要は、IVYリーグ・ファッションとは、東部のお金持ちの子弟のエリート意識に裏打ちされていたわけです。時代は異なるものの、ハーバード卒のジョン・F・ケネディのファッションが代表かも知れません。ブルックスのスーツやニューイングランドの富裕層の生活を感じさせるカジュアル・ウェア等は、実にIVYな印象です。

日本では、60年代に第一次IVYブームが起きます。石津謙介のVANジャケットとメンクラのコラボが主導しました。メンクラの街アイは63年スタートです。65年には、IVYリーグのキャンパスに取材した伝説の写真集「TAKE IVY」も出版されます。IVYルックのバイブルでした。64年、「平凡パンチ」が発刊し、IVYの知名度はさらにアップ。IVYファッションに身を包み、VANの紙袋を小脇に抱えて、銀座のみゆき通りを意味もなく歩くみゆき族も登場します。

メンクラは、アイテムのディテールを細かく伝えていました。例えば、ジャケットは、三つボタン段返り、ナチュラル・ショルダー、絞りのないウェスト、パッチ&フラップ・ポケット、ベント・フック、アウト・ステッチ等々。これがマニアックなブームにつながった面があります。そしてそれが、有名デザイナーはじめ、後に日本のファッション界をリードする多くの人材を生み出します。IVYブームは日本のファッション・ビジネスのゆりかごだったと言えます。IVYブーム自体は遠い昔の話ですが、ファッションは、今もアメリカン・トラディショナルとして立派に引き継がれています。(写真出典:amazon.co.jp)

マクア渓谷