1989年台湾 監督:ワン・トン
☆☆☆+
台湾映画と言えば、写実的に、淡々と日常を描写しながら、台湾社会を浮かび上がらせる、といった傾向の作品が多いように思います。そうした台湾映画の特徴を生み出す台湾の歴史や文化は何なのか、と考えたことがあります。答えは簡単でした。それは、台湾映画全ての特徴ではなく、80年代以降の台湾映画のほぼ全てが、エドワード・ヤンやホウ・シャオシェン等による台湾ニューシネマの影響下にあるということです。本作は、異なります。台湾映画の重鎮ワン・トンの89年の作品である本作は、ニューシネマ前世代の映画と言えます。ストーリーは、山東省出身の兄弟が、国民党軍とともに、バナナ・パラダイスと呼ばれた台湾に渡ってくる。スパイ容疑をかけられた兄弟は脱走、弟はひょんなことから他人に成りすまし、その他人の妻子と暮らし始める。精神を病んで農家に居候していた兄も引き取り、公務員として台湾の成長期を生き抜く。改革開放後、本土に残る成りすました他人の実の父親と電話で話すことになり、実は妻も成りすましていたことが分かる、というものです。
兄弟と妻は、幹部ではなく一般外省人の象徴です。故郷を遠く離れた言葉も通じない台湾、パラダイスと呼ばれるがパラダイスではない台湾での生活は、明らかに仮住まい。その土地で、活発な兵士だった兄は精神を病み、弟と妻は別な人間として人生を送らざるを得ない。外省人が抱き続けたであろう違和感を直接的に表現しています。近年は、外省人も三世代目となり、もはや外省人も内省人もなく、すべて台湾人だと聞きます。ただ、反攻大陸を叫びながら内省人に対しては恐怖政治を敷いた第一世代、それを継承しつつも微妙な立ち位置に不安感を募らせた第二世代、両世代は常にロープの上を歩んできたとも言えます。
有名な「犬が去って、豚が来た」というフレーズは、日本が去り、国民党が来た、という意味です。国民党軍の統制はとれておらず、強盗、婦女暴行、腐敗等が頻発します。これに反発した内省人の抵抗は、 1947年の二・二八事件以降、白色テロとも呼ばれる国民党の恐怖政治によって弾圧されます。台湾ニューシネマの名作、ホウ・シャオシェン監督の「非情城市」(1989年)は、 この二・ニ八事件を内省人の目線で描いています。 同じ年に公開された本作は、国民党幹部ではなく一般外省人の苦難を描くという好対照をなしています。
本作の前半は勢いのある展開を見せ、後半ではテンポを落とします。1960年前後、国民党のテーゼである「反攻大陸」は現実味を失い、外省人はアイデンティティの危機に直面します。映画のテンポの切り替えは意図的なものでしょう。ちなみに、エドワード・ヤン監督も、4時間という大作「牯嶺街少年殺人事件」(1991年)で、60年前後の第二世代にあたる少年少女たちの漠たる不安を描いています。それは、第一世代の不安の反映でした。(写真出典:eiga.com)