史記の淮南衡山列伝に記載された徐福のくだりです。方士とは、占い、医術、錬金術等を行い、不老不死を目指した修行者です。三山とは、神仙が住むと言いう蓬莱・方丈・瀛州を指し、瀛州は日本の呼称としても使われています。史記は、正史であり、一級の歴史書ではありますが、伝聞ゆえ、矛盾も誇張もあって当然です。徐福に関する記載は短かく、物証もないので、単なる伝承と認識されています。
ただ、日本での徐福人気は大変なものです。徐福渡来伝承は、市町村単位で見れば、青森県から鹿児島県まで、なんと30を超えます。海辺ならまだしも、内陸部にまで伝承が存在することは驚きです。中国では、徐福が稲作や各種技術を日本に伝えたため日本は栄えた、という認識があったようです。日本にも関わりがある徐福伝説は、遣唐使たちの注意を引き、日本に広められたのでしょう。
日本各地の伝承に言う徐福とは、おそらく種々の技術を伝えた渡来人のことなのでしょう。最も有名な渡来人は、秦氏でしょうが、4~5世紀頃渡来し、大活躍しています。徐福ノ宮がある三重県熊野市の波田須町の古い地名は秦住だったそうです。秦代の古銭も出土し、徐福上陸地ではないかとされていますが、「秦」は秦朝を意味するのではなく、秦氏の一族が住んでいたということではないかと思います。
一国を築きあげた王たちは、不老不死を求めます。人間にとって究極の願いとも言えるのでしょう。一方、ヴァンパイアたちは、死ねない憂鬱を抱えます。日本の百歳以上の人口は8万人を超えたといいます。秦代の人々から見れば、今の日本は、まさに不老不死の霊薬のある三山なのかも知れません。(新宮市の徐福公園にある徐福像 写真出典:city.shingu.lg.jp)