ラッフルズは、1887年の開業。アルメニア人サーキーズ家が創業しました。イギリス植民地下にあって、白人専用のホテルでした。礼装軍服にターバンというインド人ドアマンに迎えられると、上質なコロニアル様式の館内は涼しく、ヤシの緑が濃い中庭にはうっとりさせられます。フランス人は、現地に溶け込む傾向が強いのに対して、イギリス人は、どこへ行ってもイギリスの生活を持ち込みます。おそらく厳しい階級社会ゆえ、どんな辺境であっても、上流の生活スタイルを誇示せざるを得なかったのでしょう。ラッフルズのコロニアル・ムードは、その産物でもあります。
サマセット・モームは、イギリスが大嫌いな生粋のイギリス人だったように思えます。モームは、1874年、イギリス人夫妻の子として、パリに生まれ育ちます。ただ、幼くして家族は離散、モームはケント州の牧師の叔父に育てられます。英語に不自由で、吃音だったモームはいじめられます。叔父との不仲、あるいは同性愛者への偏見もあり、イギリスが嫌いになったのでしょう。モームは、旅行家かと思えるほど、世界を旅しています。人気作家となった後も、旅から旅の生活でした。スペイン、イタリア、アメリカ、ロシア、南太平洋、アジア。ロシア革命時には、ロシアでMI6の諜報員までやっています。
ストーリー・テラーだったモームの作品は、読みやすいことに加え、異国情緒も人気を高めた要因だったと思います。世界が急速に狭くなった時代、特に多くの植民地を抱えるイギリスでは、モームの作品は人々の知的ニーズにうまく応えたということなのでしょう。戯曲も多く、また映画化された作品も多くあります。印象に残る作品は、やはり「月と六ペンス」です。特にポール・ゴーギャンが好きなわけではありませんが、タヒチへ渡った株式仲買人の生涯は印象に残ります。
陽が傾いたら、館内のロング・バーへ行きます。ピーナッツの殻で埋め尽くされた床を踏みしめ、この店発祥のシンガポール・スリングを注文します。南国の日暮れに、これほど合うカクテルもないように思えます。かつて女性が人前で酒を飲むことが憚れた時代、海南島出身のバーテンダーが、女性のために見た目がフルーツ・ジュースのようなシンガポール・スリングを生み出したと聞きます。(写真出典:travel.co.jp)