2020年9月6日日曜日

ドロミテ遭難記

2017年10月、家族で出かけたイタリア・アルプス、ドロミテのトレ・チーメ・ディ・ラヴァレード山で転倒、骨折しました。登山していたわけではありません。中腹まで車で行き、いいアングルで写真を撮ろうとガレキの斜面を降り、足を滑らせました。前は氷河が削った深い谷。無理に後ろへ倒れようとしたのが災いしたようです。一緒に行ったイタリア人の青年と山小屋から助けにきてくれた若者に支えられ、足場の悪い斜面を降りました。山小屋の若者は、さすがに慣れたもので、アイシングをしてくれました。

コルティナ・ダンベッツォ経由でベルーノまで車で降り、総合病院の救急治療室に入りました。当直医は私と同年齢とおぼしき女性。「あんた、英語は話せるか?」と聞くので、「少し」と答えました。すると医師は「良かった。私も話せないから」と言います。不思議な会話ですが、重要なやり取りは、同行したイタリア人の青年と長女がイタリア語で対応してくれました。いずれにしても左足首あたりを3カ所骨折。ただ、複雑骨折ではなかったので、ギプスを装着しただけでした。実は、骨折した瞬間から痛みも全くありませんでした。特筆すべきは医療費の安さ。恐らく国の医療への補助が大きいのでしょう。そしてギプスは石膏。帰国後、整形外科の看護師が、今時、石膏ですか、と驚いていました。近年は、軽いガラス繊維を使うようです。

そもそもベネチア・ビエンナーレを楽しむために、ベネチアにアパートを借りていました。ただ、車が入れず、どこへ行くのも橋の階段を上下するベネチアには戻れないと思い、長女の友人が働くトレヴィーゾのホテルを取りました。あいにくホテルは満室が続くと言うので、翌日から急遽アパートを借り、一週間ばかり滞在しました。家族はベネチアのアパートから通い、世話をしてくれました。以降の旅程は崩壊です。また、同行したイタリア人の青年の実家がトレヴィーゾにあり、数日前、ベネチアでご両親とも食事していました。気晴らしに昼食はどうか、と招待され、古い農家をリノベートした素敵な家で、ゆっくりさせていただきました。

帰国も苦労しました。左足全体がギプスという状態では、飛行機はビジネス・クラス以上限定。しかもベネチア空港からビジネス・クラス設定のある便は極めて限られています。結果、ネットに強い次女が頑張り、ドバイ経由のエミレーツで席が取れました。家族を先に帰し、欧州に住む長女とイタリア人の青年に手伝ってもらい、空路は一人で帰国しました。事前に予約したのですが、各空港では職員が一人つき、車椅子でサポートしてくれました。ことにドバイ空港では、タバコが吸いたくなり、パキスタン人の青年に、巨大な空港の端にある喫煙所まで押してもらいました。ちなみに、昨年のドバイ空港は、喫煙所が増えていました。いずれにしても、多くの人々、家族に助けられました。心から感謝。完全に骨が回復するまで、結果、9か月もかかってしまいました。

マクア渓谷