2019 年中国・フランス 監督:ディアオ・イーナン
☆☆☆☆
「薄氷の殺人」のディアオ・イーナン監督、待望の新作です。再びネオ・ノワールのスタイリッシュな映画に仕上がっています。ただ、前作に比べれば、ややガチャガチャとした印象です。前作の舞台が極寒のハルピン、今回は湿潤な南部の地方都市。いずれもその空気感が伝わりますが、前作ほどのシャープさはありません。ただ、フレンチ・フィルム・ノワールを彷彿とさせる演出や、独特の間合いは、実にいい味を出しています。ヒロインには、前作同様、台湾のグイ・ルンメイ。前作とはまるで違うキャラクターを演じますが、イーナン映画のムードを形成する重要な要素となっています。フレンチ・ノワールを特徴づける流儀の一つは、 ダンディズムだと思います。伊達男ということではなく、プライドの在り方という意味でのダンディズムです。それがイーナン監督の描く主人公の生き様であり、映画の縦糸になっています。登場する女性、仲間たちは、主人公のダンディズムの反映として存在します。アメリカのフィルム・ノワールでは、主人公が性格破綻をきたしており、ゆえにファム・ファタールが登場し、ストーリーが展開していきます。アメリカのフィルム・ノワールの虚無感は継承しつつも、フレンチ・ノワールのダンディズムが主旋律になっているように思います。
イーナン映画の舞台は、中国の闇の世界、あるいは中国の表社会から捨て置かれた社会です。監督の目線が、批判的でも温情的でもなく、捨てられた人々と同じ地平線上にある点も大きな特徴だと思います。中国の闇の世界は、中国共産党が認めたくない存在だと想像できます。他の国々の闇社会も同様な面はありますが、それはあくまでも法の世界での話です。高度な管理社会である中国で、存在が全否定されるということは、極めて厳しい状況だと思います。
2019年、建国70周年を機に中国の検閲は強化されたと聞きます。その線引きがよく分かる例があります。中国系米国人が撮ったドキュメンタリー「一人っ子の国」(2019)は衝撃的でした。中絶を強要される母親、中絶を強要する下級幹部、双方の苦しみが語られていました。それでも生まれた二人目以降の子供は、母親から引き離され、施設に入れられます。地方幹部の一部は、その子らと欧米人との養子縁組ビジネスで私腹を肥やします。多くの賞を獲得しましたが、中国では検閲どころか完全無視。一方、同じく一人っ子政策を扱ったワン・シャオシュアイ監督の「在りし日の歌」(2019)は公開されました。政策が与えた人民の苦しみは描かれていますが、政府を直接的に批判するシーンはありません。
イーナン監督の作品は、闇社会を舞台としながらも、直接的な政府批判はありません。よって検閲は通ったのでしょう。ただ、中国第六世代から第七世代の監督たちが描く社会のひずみは、管理社会が強化されれば、その反作用も大きくなることを雄弁に語っているように思えます。(写真出典:asiapadaise.com)