2020年9月11日金曜日

黒い霧事件

1969年、旧西鉄ライオンズに起きた八百長疑惑は、他球団へも飛び火し、さらにオートレース八百長、野球賭博、暴力団との関係等へと広がり、ついには国会でも取り上げられる社会問題になりました。いわゆる「黒い霧事件」です。結果、19人の野球選手が処分され、うち6人は永久追放となりました。主力選手たちが処分されたライオンズは最下位に低迷し、西鉄は球団を売却。太平洋クラブ、クラウンライターを経て西武ライオンズへとつながります。事件当時、二軍でくすぶっていた東尾修は、主力を失った一軍に上がり、もまれて開花、ライオンズ不動のエースになります。

永久追放された選手のなかに、西鉄ライオンズのエース池永正明投手がいました。下関商業時代、甲子園で優勝もしています。65年、ライオンズに入団すると、剛速球とクレバーなピッチングを武器に、1年目から20勝をあげ、300勝も夢ではない、とまで言われます。ライオンズに同期で入団した尾崎将司投手は、こんなすごい奴がいたんじゃ自分の出番はない、と3年で退団、後にプロゴルファーとして一時代を築いたことはご存知のとおり。また、野村克也監督が、ID野球の原点は池永のクレバーなピッチングだったと語っています。

池永氏は、先輩から「預かってくれ」と100万円を押し付けられますが、八百長は行っていません。それでも日本野球機構は、返金していないこと、虚偽の報告があったこと等を理由に永久追放としました。問題が大きくなりすぎたので、スケープゴートにされた面があるのでしょう。当初から処分が厳しすぎるとの声が多かったと聞きます。その後、池永氏は、博多の中州でバー「ドーベル」を開きます。私も、先輩に連れられ、何度か行きました。池永氏は、口数少なく、朴訥とした印象ですが、実に気さくな方です。上下関係に厳しい体育会系の世界しか知らない野球バカの自分は、先輩に言われたことに逆らえなかった、と話してくれました。

池永氏はゴルフの達人でもあります。親友のジャンボ尾崎から幾度もプロゴルファーに誘われたそうです。やれば相当稼げたはずです。「性に合わないと思って」と言っていましたが、球界への復帰にかける思いが強かったということだと思います。ドーベルのトイレは圧巻でした。壁という壁が、池永氏の復権を求める落書きで埋め尽くされていました。球界、政治家、文学者、芸能人、あらゆる人々から支援された池永氏は、2005年、念願の処分解除、球界復帰を果たしました。事件から実に35年の月日がたっていました。
ドーベルでの池永夫妻     写真出典:gensun.org

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