永久追放された選手のなかに、西鉄ライオンズのエース池永正明投手がいました。下関商業時代、甲子園で優勝もしています。65年、ライオンズに入団すると、剛速球とクレバーなピッチングを武器に、1年目から20勝をあげ、300勝も夢ではない、とまで言われます。ライオンズに同期で入団した尾崎将司投手は、こんなすごい奴がいたんじゃ自分の出番はない、と3年で退団、後にプロゴルファーとして一時代を築いたことはご存知のとおり。また、野村克也監督が、ID野球の原点は池永のクレバーなピッチングだったと語っています。
池永氏は、先輩から「預かってくれ」と100万円を押し付けられますが、八百長は行っていません。それでも日本野球機構は、返金していないこと、虚偽の報告があったこと等を理由に永久追放としました。問題が大きくなりすぎたので、スケープゴートにされた面があるのでしょう。当初から処分が厳しすぎるとの声が多かったと聞きます。その後、池永氏は、博多の中州でバー「ドーベル」を開きます。私も、先輩に連れられ、何度か行きました。池永氏は、口数少なく、朴訥とした印象ですが、実に気さくな方です。上下関係に厳しい体育会系の世界しか知らない野球バカの自分は、先輩に言われたことに逆らえなかった、と話してくれました。

ドーベルでの池永夫妻 写真出典:gensun.org