
そんな立派な人は滅多にいないと思うのですが、没落した公家の娘たちが太夫になったと聞き、納得しました。かつて公家は、娘たちに最高級の教育を施し、御所に入れ、あわよくば帝の側室をねらったものだそうです。何から何まで完璧にこなす芸妓など、一朝一夕に育てられるものではありません。太夫には、お金と時間が随分かかっていたわけです。ちなみに、江戸吉原の花魁は、形だけ太夫をまねたもので、雲泥の差があったようです。
縁あって、一度、輪違屋に上がらせていただきました、輪違屋は、元禄の創業。江戸末期に再建したという立派な建物に入ると、まずは館内をツアーし、二階の立派なお座敷に通されます。しばらく喉を湿らせていると、いよいよ太夫の登場。大きな和蝋燭に火が灯り、電気は消されます。まるで江戸時代にワープしたような感覚に陥ります。太夫お成り、の声とともに、禿(かむろ)と呼ばれる二人の子供に先導され、付き人や地方数名を引き連れた太夫が登場します。
大きな髷に鼈甲の簪等の髪飾り、豪華な刺繍を施した厚い打掛。総重量は40キロを超すといいます。踊り、和楽器の演奏等を披露いただき、酌をしてもらいました。太夫の話術も見事でしたが、かつてコシノジュンコさんに連れられ、パリで道行(みちゆき)をしたという話にはたまげました。いずれにしても、京都島原、幽玄の一夜でした。
写真出典:matome.never.jp