2020年8月31日月曜日

アダンの実

アダンの実は、繊維質で灰汁が強いことから食用には適しません。ただ、石垣島など八重山諸島では、数日をかけて灰汁を抜き、柔らかくして食べていたようです。昔ながらのやり方で調理したアダンを、那覇の八重山料理「潭亭(たんてい)」で食べたことがあります。特段美味しいというものでもありませんでした。八重山の人々は、美味しいから、手間暇かけてアダンを食べていたのではありません。他に食べるものがなく、やむなく食べていたということです。アダンの料理は、八重山の苦難の歴史を伝えます。

沖縄本島とは言葉も異なる独立した文化圏であった八重山諸島が、第二尚王朝に支配されたのが、1500年のこと。王朝が薩摩支配下に入った後の1637年、悪名高き人頭税が八重山を含む先島諸島に課されます。豊作、凶作に関わらず家族数に応じて一定額を徴収する人頭税は、八重山の人々をとことん苦しめます。しかも、尚王朝の公定税率に、現地士族の横暴も加わり、実質八公二民という過酷な税が、琉球処分後の1903年まで継続されました。

1879年の琉球処分によって、琉球は沖縄県として日本に併合されます。王朝の支配層であった士族たちの不満は大きく、明治政府は、これを抑えるために、旧慣温存政策を取ります。つまり、全国統一の税制や統治制度をいきなり適用するのではなく、当面、尚王朝時代の制度を継続することにしたわけです。これに伴い人頭税も継続されます。


真珠養殖事業を起こすべく宮古島に渡った新潟県出身の中村十作は、人頭税に苦しむ人々を見て、県知事に改善を訴えます。取り合ってもらえなかった中村は、士族の妨害を受けながらも、帝国議会へと訴えます。同郷の読売新聞記者増田義一の助けもあり、世論も味方につけた中村らは、内務大臣井上馨へ嘆願書を提出。1903年、ようやく人頭税は廃止になりました。

琉球王朝の人頭税は、先島諸島だけではなく、支配下にあった奄美諸島でも徴収されています。奄美の人たちは、今でも琉球の人たちを良く言いません。アダンの実の料理を説明してくれた「潭亭」のご主人は、最後に「アダンを食べるのは八重山だけです。彼らは食べません」と話を締めくくりました。「彼ら」とは、間違いなく沖縄本島の人たち。長期に渡った圧制の記憶は、そう簡単に薄れるものではありません。
写真出典:okinawaclip.com

マクア渓谷