2020年8月27日木曜日

築地井上のラーメン

懐かしい井上の光景 出典:pinterest.jp
2017年8月3日夕刻、築地場外もんぜき通りに火の手があがり、飲食店17軒が焼失。火元は、大人気店、中華そばの井上でした。早朝開店、昼過ぎには閉まる立ち食いラーメン屋。行列が絶えることはないのですが、メニューが一つであることもあり、回転が早く、50人の行列でも30分も並べば、食べられました。このうえなくバランスの良いスープにうまいチャーシューがたっぷり。これを立ち食いですすり上げると、幸せ感で満たされます。最後の頃は、そこそこ値上げして一杯700円。私が、東京で最も好きなラーメンでした。

ラーメンの歴史ということになると、最初に食べた日本人は水戸光圀公という話が定番。ところが、近年、「蔭涼軒日録」という文献に、中国の書物を参考に、小麦とかん水を使って打った麺が出てくることが発見されました。1488年のことであり、これが日本のラーメン事始めではないか、と言われているそうです。蔭涼軒は、相国寺境内の鹿苑院にあった足利家の休憩所。なんと日本のラーメンは京都発祥だったということになります。

横浜中華街でも中華麺は出されていたようですが、今につながる日本式のラーメンは、やはり浅草の「来々軒」が発祥。1910年のことでした。大人気となり、瞬く間に全国に広がり、かつ各地で独自の進化を続けてきました。単純な料理なのに、そのヴァリエーションは広く、かつ店によって味が異なるわけですから、驚異的な多様性です。それが一杯千円以内で味わえるわけですから、実にいい楽しみだと思います。

私の好みは支那そば系。よく食べるのは、飯田橋のびぜん亭、交通会館のひょっとこ、有楽町大勝軒あたり。佐野ラーメン、喜多方ラーメンも大好きですし、博多に行けば元祖長浜屋、札幌へ行けば純連かすみれは欠かしません。久留米の沖食堂、熊本の黒亭、また行きたいですね。ま、数えあげれば、切りがないわけです。なかでも井上は最上級でした。誠に残念。豊洲市場で再開か、と期待されましたが、なしのつぶて。出火元の責任を重く受け止め、廃業したとも聞きました。

赴任したことのある新潟も、実はラーメン王国。背脂発祥の燕・三条、新潟のこってり味噌、そして長岡のしょうが系醤油。長岡は宮内駅の青島食堂は大のお気に入り。しょうがで醤油の角を取ったまろやかな味は絶品。近年は秋葉原にも店を出し、行列店となっています。本店より、やや脂っこさが勝る感じです。ま、東京の若者の好みに合わせたのでしょう。

マクア渓谷