2020年8月12日水曜日

コークの世界制覇

世界最大の飲料メーカー、コカ・コーラ・カンパニーの本社が所在するジョージア州アトランタには、「ワールド・オブ・コカ・コーラ・ミュージアム」があります。最も興味深い展示は、世界各国のコークの試飲。見事に味が異なります。説明によれば、各国の風土・気候・嗜好に合わせ調整してあるとのこと。そのとおりなのでしょうが、もっと言えば、各国の食事との相性を計算しているように思います。

例えば、アメリカのコーラは、日本のものより軽い印象があります。それは、ジャンク・フードとの相性を計算したフレイバーと炭酸濃度なのだと思います。アメリカの脂っこいジャンク・フードに、コークは実によく合います。例えて言うなら、和食の味噌汁です。それが売り上げを伸ばしてきた秘けつなのだと思います。喉が乾いたら飲むくらいでは世界一にならないわけです。コークは、アメリカのジャンク・フードと手を携え、世界を征服していったわけです。

19世紀末に誕生したコークが躍進した理由は多くあります。まずはボトリングを挙げるべきでしょう。アメリカのソーダ類は、薬用としてスタートしたため、薬局のソーダ・ファウンテインでグラス売りされていました。それをボトル売りにすることで、いつでも、どこでも飲めるようにしました。ボトルの形状もブランディング効果抜群でした。コークの代名詞とも言えるコンツアー・ボトルは1915年に誕生。目指したのは、暗闇でも、割れてもコークだと分かるボトルだったそうです。

30年代、ペプシの安売り攻勢で危なかったこともあったようですが、第二次世界大戦が勃発すると状況は一変。コカ・コーラ社は、いかにコストがかかろうとも、世界中のどこでも、いつでも、兵士がコークを飲めるようにする、と宣言します。政府もこれを歓迎、コークは軍需物資扱いとなります。結果、世界中の60カ所に、政府資金でボトリング工場が建設されました。戦後、それらが世界制覇の足掛かりとなったことはいうまでもありません。ジャンクフードとボトルと戦争が、コークを世界一にしたわけです。

コークは、一度、味を変えています。70年代後半からペプシの大攻勢を受け、首位から陥落したコカ・コーラ社は、85年に味を変えたニュー・コークを発売、巻き返しを図ります。結果は、ブーイングの嵐。 大失敗でした。わずか2ヵ月半で元の味に戻します。ところが、この大惨事が、マーケティング的には良い効果を生み、首位に返り咲きます。何という幸運。マーケの世界では伝説となっています。
写真出典:PicClick.com

マクア渓谷