カール・レイモンは、ボヘミアの食肉加工職人の子として生まれ、修行のために世界を回ります。日本に寄港した際、函館で日本人女性と恋に落ち、欧州へ駆け落ちします。1922年のことでした。二年後、函館に戻った二人は、食肉加工業を始めます。カール・レイモンは「わたしのハムはね、肉の細胞を一時的に眠らすだけ。人間の胃に入るとすぐその細胞はよみがえるんですよ。」と語っています。冷蔵技術も輸送技術にも限界のあった時代、手作り、無添加にこだわった彼の貯蔵肉は、函館でも入手困難でした。カール・レイモンは、1983年、90歳を前に一線を退きます。店は株式会社化したうえで、日本ハム傘下に入ります。ブランドは残り、今も弟子たちが製造を担っています。それらを見届け、1987年、93歳で逝去。自らを「胃袋の宣教師」と呼んだ頑固な職人の一途な生涯でした。日本の量産ソーセージを革命的においしくしたのは、日本ハムのシャウエッセンです。シャウエッセンの発売は1985年。私は、シャウエッセン開発の過程に、カール・レイモンが、何らかの形で関与していたのではないかと思っています。
実は、カール・レイモンは、筋金入りの汎ヨーロッパ主義者でもありました。若いころ、運動を象徴する旗のデザインとして青地に黄色い星を提案します。函館の空に北極星だったともいわれます。当時、そのデザインは採用されませんでした。ところが、30年後、欧州評議会は、カール・レイモンに手紙を寄せ、貴殿の案を採用すると通知します。欧州評議会の旗は現在の欧州連盟旗に引き継がれています。
カール・レイモン 写真出典:satofull.jp