
私のお気に入りは、ドイツの物理学者ヘルムート・トリブッチによる蜃気楼説です。 下位蜃気楼の一種である逃げ水を、水として取り込もうとしたのではないか、 という仮説です。 ポイントは、 地上絵が、 全て一筆書きになっていること。 溝は浅く、 水を貯めるには不適ですが、 逃げ水の性質からして、 深さより広さが重視されたのだと考えられます。 ただ、残念ながら、学会はこの説を無視しています。その背景には蜃気楼と人類の薄い関係があるように思います。
古代から蜃気楼は不思議な現象だと思われていたはずですが、歴史的な記録や文献は、とても少ないように思います。不思議な現象は、通常、神の御業となり、信仰の対象となります。蜃気楼には、それがありません。見られる時と場所が限定され、かつ実益も実害もないので、たまに見かける自然現象という認識以上でも以下でもなかったのだと思われます。逃げ水も、目の錯覚であり、本当の水は無い、そんなことくらいナスカ人も知っていたはず、ということなのでしょう。
そもそも「蜃気楼」という言葉自体、実にいい加減に扱われてきたな、と思います。もとは中国の言葉ですが、蜃は大ハマグリのこと、気はその吐く息、楼はそこに浮かび上がる楼閣という意味です。古代ならともかく、それを現在に至るまでの数千年間、何の迷いも無く使ってきたわけです。どうでもいい現象だったということでしょうか。
写真出典:yuuma7.com
古代から蜃気楼は不思議な現象だと思われていたはずですが、歴史的な記録や文献は、とても少ないように思います。不思議な現象は、通常、神の御業となり、信仰の対象となります。蜃気楼には、それがありません。見られる時と場所が限定され、かつ実益も実害もないので、たまに見かける自然現象という認識以上でも以下でもなかったのだと思われます。逃げ水も、目の錯覚であり、本当の水は無い、そんなことくらいナスカ人も知っていたはず、ということなのでしょう。
そもそも「蜃気楼」という言葉自体、実にいい加減に扱われてきたな、と思います。もとは中国の言葉ですが、蜃は大ハマグリのこと、気はその吐く息、楼はそこに浮かび上がる楼閣という意味です。古代ならともかく、それを現在に至るまでの数千年間、何の迷いも無く使ってきたわけです。どうでもいい現象だったということでしょうか。
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