2020年8月11日火曜日

蜃気楼

世界各地で見られる地上絵は、随分と古いものだそうです。近年、注目される中東の車輪型地上絵は、8,500~5,500年前のもの。地上絵の人気ナンバー・ワン、ナスカの地上絵は、1,500~2,500年前のものと推定されます。ナスカの地上絵は、だいぶ研究が進んでいるようですが、 依然、 何のために描かれたのかは不明のまま。 暦法説、 雨乞い説、 宗教儀式説に始まり、 果ては宇宙人とのコミュニケーション説までありますが、いずれも決定打に欠けるとのこと。ついに複数目的説まで出ているようです。 インカ文明同様、ティワナクやナスカ等インカに先立つ諸文明も文字を持っていないことが、解明を阻んでいます。

私のお気に入りは、ドイツの物理学者ヘルムート・トリブッチによる蜃気楼説です。 下位蜃気楼の一種である逃げ水を、水として取り込もうとしたのではないか、 という仮説です。 ポイントは、 地上絵が、 全て一筆書きになっていること。 溝は浅く、 水を貯めるには不適ですが、 逃げ水の性質からして、 深さより広さが重視されたのだと考えられます。 ただ、残念ながら、学会はこの説を無視しています。その背景には蜃気楼と人類の薄い関係があるように思います。

古代から蜃気楼は不思議な現象だと思われていたはずですが、歴史的な記録や文献は、とても少ないように思います。不思議な現象は、通常、神の御業となり、信仰の対象となります。蜃気楼には、それがありません。見られる時と場所が限定され、かつ実益も実害もないので、たまに見かける自然現象という認識以上でも以下でもなかったのだと思われます。逃げ水も、目の錯覚であり、本当の水は無い、そんなことくらいナスカ人も知っていたはず、ということなのでしょう。

そもそも「蜃気楼」という言葉自体、実にいい加減に扱われてきたな、と思います。もとは中国の言葉ですが、蜃は大ハマグリのこと、気はその吐く息、楼はそこに浮かび上がる楼閣という意味です。古代ならともかく、それを現在に至るまでの数千年間、何の迷いも無く使ってきたわけです。どうでもいい現象だったということでしょうか。
写真出典:yuuma7.com

マクア渓谷