先輩から、日本に馬車の文化が無いのは何故だろうね、との問いかけ。まあ、日本は山がちで、平らなところが少ないから、ということでしょうか。オリエントや欧州の馬車の文化は、古代の戦車に始まるのだろうと思います。会戦の主力装備だったのでしょうが、日本では平坦地での大規模な会戦そのものが稀です。加えるに、日本の在来種の馬は小型なので、馬車には向かなかったということもあるかもしれません。
いずれにせよ、欧州の馬車文化は、どんどん洗練されていき、18世紀ころには、その乗り心地、居住性、見た目の美しさは、ほぼ頂点に達していたと思います。それを作っていたのがコーチビルダー、イタリア語ではカロッツエリアです。19世紀、自動車が登場し、馬車は衰退していきます。ただ、初期の自動車メーカーはシャーシと駆動系だけを作り、車体は技術と経験のあるコーチビルダーが作りました。現在も車種名称として使われるクーペ、ワゴン、カブリオレ等は、元々馬車の種類でした。
自動車の大量生産が始まると、自動車メーカーは車体製造も行うようになり、コーチビルダーは、自動車メーカーに吸収されるか、一部は、英国のジャガーのように自ら自動車メーカーになり、多くは、カスタムメイド車に特化しつつ、デザインだけをメーカーに提供します。さらにデザインも自動車メーカーが内製化すると、コーチビルダーの数は減り、残った会社は、スポーツカーやコンセプトカーに活路を見出すとともに、工業デザイン全般へと領域を広げてきました。天才ジョルジェット・ジウジアーロのイタルデザイン、フェラーリのデザインで有名なピニンファリーナ、ランボルギーニ・カウンタックのベルトーネ等が、今も活躍するカロッツエリアです。
私が憧れてきた車は、フォルクスワーゲンのカルマン・ギア。プアマンズ・ポルシェとも呼ばれます。ビートルに、イタリアのカロッツエリア、ギア社がデザインした車体を乗せただけの車です。ポルシェ博士の武骨なビートルが、完璧な曲線を持つ優美なフォルムへと変身しています。ちなみに、日本の名車いすゞ117クーペもギア社の作品。担当したのは独立前のジウジアーロでした。
フォルクスワーゲン・カルマン・ギア 写真出典:gazoo.com