2020年7月31日金曜日

コルトレーン忌

7月17日は、ジョン・コルトレーンの命日。かつて、全国のジャズ喫茶では、この日、終日コルトレーンをかけていたものです。そんなことをやるのは、コルトレーンだけでした。実は、ビリー・ホリディも同じ命日ですが、コルトレーンだけ流し続けるわけです。今もそうなのかも知れませんが、  私も何十年も行っていないのでわかりません。 そもそも店の数が激減しましたけどね。

60〜70年代がジャズ喫茶最盛期でした。それ以前には、クラシック喫茶、ラテン喫茶、唄声喫茶等のブームもありました。 私は、 中学三年から、ジャズ喫茶通いを始めました。 小遣いで僅かなレコードを買ってしょぼいステレオで聞くより、音のいいジャズ喫茶で、 沢山のレコードを聞いた方がいい、 と思ったからです。 コーヒー1杯で最低2時間は粘りました。 手持ち無沙汰になるので、 タバコも覚えました。吸い残しても、家に持ち帰れないので、10本入りショートホープ専門でした。店のお姉さんは、あんた中学生でしょ、と言いながらも売ってくれました。

全共闘が隆盛を極め、そして敗北していった時代、ジャズ喫茶の学生たちは、  タバコをくわえ、 左翼系の本を片手に、 目を閉じ、リズムに合わせロング・ヘアーを振っていました。 そんな時代、 コルトレーンは、 ほぼ神でした。 もちろん、ジャズ・ジャイアントの一人でもありますが、トップ・ランカーとして活躍したのはわずか10年程度であったこと、40歳の若さで惜しまれつつ亡くなったことが、コルトレーンの神性を高めた面もあります。そして何よりも、傑作アルバム「至上の愛」でコルトレーンは神の領域に入りました。

コルトレーンは、誠実な努力家です。天才ではありません。音も単調で面白みに欠けます。ただ、猛練習を重ね、大きな音で多くの音符を吹くシート・オブ・サウンズと呼ばれるスタイルを確立します。その傑作が「ジャイアント・ステップス」です。その後「マイ・フェイバリット・シングス」をヒットさせ、さらに音楽と誠実に向き合い「至上の愛」へと到達します。晩年、フリー・ジャズを展開しますが、音楽を突き詰めていくコルトレーンの誠実さからすれば、当然の帰結だったと思います。恐ろしく速いスピードで、ジャズの過去と未来を駆け抜けた人でした。
ジョン・コルトレーン「至上の愛」  出典:amazon.co.jp

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